小中とソフトボールしか経験なし。肩だけ強く,中3時点でソフトボール(3号)遠投80メートル。
球速はソフトボールでMax100�q/h,中3の冬に親父の知り合いに頼んで硬式ボールで球速を測ったら
133�q/h。どんなことがあろうと高校野球をしたいと思った。
高校で野球を志すも入試に失敗。県で一番の進学校では野球部なし。社会人経験があった父親と
二人だけで硬式でトレーニング。ソフトボール部に所属するも,高2の6月に肩の故障で退部。
その時点ではインターハイ,国体クラスの選手だった。(外野手) 故障後,地元のクラブチームで続けたが
そのクラブチームから推薦されて国体に行けるはずが…現役高校生は認められないと却下された。
その後は親父の職場の草野球チームのメンバーになった。
国立大学に進み,初めて野球部に入った。そこでは,外野手志望。入部時に先輩たちは僕がいつ退部するか
かけていた。2週間で退部にかけていたのが後の監督。(笑)
基礎体力が無茶苦茶にあったのと,ソフトボールのスピード感になれていたために,速球に滅法強い打者となる。
3年秋よりレギュラークラス。4年春のリーグ戦前の練習試合で実績を残しレギュラー目前。リーグ戦中に交通事故で
足を負傷。報告したときの主将と監督の表情が忘れられない。とっつきにくく,付き合いの悪い僕だったが,自分は一人じゃないと思えて嬉しかった。
最終戦で久しぶりにグラウンドに出た。
春で引退するしきたりだったんで,それが本当に最後だった。
試合前のノック,ライトだった僕は外野の最後だった。捕球してバックホームしたとき,春のよく晴れた青い空に,
自分が投げたボールが飛んでいくのを見たときに,たまらなく幸福な気持ちになった。
…11年前の5月19日。名もない地方の球場での出来事だが,忘れることはできない。

バブル全盛期だったせいもあって,大学があった街の銀行と実家のある街の銀行から「野球やりませんか?」という
お誘いがあった。野球を教えてくれた親父は「もういいやろ」そういって静かにやめろといった。

大学院にすすみ,大学にそのまま残った。高校のとき,わけわからん理由でメンバーに入れず,国体にいけなかった僕は,
今の仲間と国体に行くのが夢だ。