河南子はゆっくりと目を開いた。そこに映るのは、白い布団とシーツ。体を起こして周囲を確認する。河南子がいるのはなんの変哲もない病室で、ベッドの上では相変わらず朋也が寝息を立てていた。
「……ん〜?」
 不思議な夢を見ていた気がする。嬉しいような、悲しいような夢。
「……もうこんな時間か」
 時計は面会時間の終了を告げている。河南子は大きく伸びをしてから、眠っている朋也の顔を覗き込んだ。
(……のんきな寝顔してんな、こいつ……)
 朋也の短い前髪に触れ、河南子はおもむろに口を開いた。なにか伝えたいことがある。だが口を半分開いてから、河南子は動きを止めた。不意に、いつか誰かに言われた言葉を思い出したのだ。
『おまえの素直な気持ちが聞けて嬉しかったよ』
 誰に言われた言葉だっただろうか。確か、朋也に言われたような気がする。
 自分はなんと言ったのだろうか。ただ、そう言われて嬉しかったことだけを河南子は確かに覚えている。
(素直な気持ちってなんだっけ……)
”この馬鹿、さっさと思い出せよ”
”心配させんな”
”先輩を悲しませるんじゃねぇよ”
(違う、そんなんじゃない……)
 河南子は頭を振った。そんな、何度も口にした言葉ではなかったはずだ。それは確か、初めて口にした言葉だった気がする。今まで一度も伝えたことがなかった気持ち……。
『みんながどれだけ心配してるか……先輩が、ともが、鷹文が……あたしがっ! どれだけ……!!』
『朋也っ! 本気で心配してんだぞ! あたし本気で……本当に朋也のこと……!!』
(!)
 不意に浮かんだ言葉。まさにその言葉だった、河南子が伝えた素直な気持ちとは。
『……あたしがっ! どれだけおまえのことが好きか、ちゃんと自覚しろよっ!!』
 どこか知らない場所、知らない時間で、河南子はそう叫んだ。思い出すとにわかに恥ずかしさが込み上げ、河南子はがしがしと頭をかきむしった。
(あたしどこで言った!? なんだあれ夢か、夢だったのかっ!?)
 一人で悶えてみても答えは出ない。河南子は椅子の上でばたばたと手足を暴れさせていたが、やがて大きく息を吐き気持ちを落ち着かせた。そしてもう一度、ベッドの上の朋也に視線を向ける。
「……これはおまじないのせいだからな。一回しか言わないぞ、いいか? ……もし……」
 そこで一度言葉を途切る。朋也が本当に眠っているのを確認してから、河南子は赤い顔で残りの言葉を口にした。
「もしおまえの可能性の中の一つで、今より前におまえとあたしが会ってたら……その時にまだ、鷹文も先輩もいなかったら……そしたらあたしは、おまえを選ぶよ、朋也」
 眠っている相手への、なんとも滑稽な告白。それが、河南子の精一杯の『素直な気持ち』だった。
 数分後。眠る朋也以外誰もいない病室。朋也の頬には、触れると消えてしまいそうなほど微かな跡が残っていた。

「あっち〜。そだ、パピコ買って帰ろっ」
 耳まで真っ赤な河南子が、薄暗い道を一人で歩いている。湧き上がる恥ずかしさをごまかす為の、無駄に大きな動作。
 そんな中、特に意味もなく空にむかって伸ばした掌から、夢の中で受け取ったはずの光の球がゆっくりと夜空に昇っていった――――。(完)