>>78 つづき

さらに抜粋
P101

岡潔が大きな不満を感じたことに疑いをはさむ余地はない。解明すべき論点は不満の理由である。

岡潔の第7報はフランス数学会雑誌78の冒頭に掲載されたが、この巻頭論
文にすぐ続いて、一頁の白紙(28頁目)をはさんで、カルタン自身の論文
「複素変数の解析関数のイデアルとモジューノレJ
(フランス数学会雑誌78、29'"'-'64頁)
が掲載されている。末尾に「このマニユスクリプトは1949年9月15日に受理
されたJという記載が見られるが、岡潔の第7報が受理された日付はi1948
年10月15日」であるから、きっかり11箇月後の出来事である。この問、カル
タンは岡潔の第7報を研究し、適宜書き直しを行ない、しかも同時に一篇の
論文を執筆して、二つの論文を同時に公表したのである。
カルタンの論文のテーマは、岡潔の第7報を層の理論の視点から見て解明
することで、第7報の書き換えも同じ視点から行なわれている。このような
形で紹介された結果、第7報のテーマである不定域イデアルの理論は層の理
論の萌芽として理解されるようになり、有限擬基底をもっ不定域イデアノレは、
解析的連接層として諒解されるようになった。すなわち、不定域イデアルの
理論は、「三十年来の同僚である」カルタンによって高い評価を受け、現代
数学の流れに受容されたとき、まさしくその瞬間にすでに歴史的遺産へと変
容しなければならない運命に置かれたのである。上記の梶原壌二の証言には、
このような趨勢を甘受しようとする岡潔の感慨がよく表われていると思う。