どこで本当に文章を理解するのか、許容範囲がアップするのがいつなのかは個人差が大きいから
わからない。だからと言ってあきらめるのは教育の放棄に他ならない。
いずれ国語的なモノをマスターすることは、すべての子供にとって絶対必須なスキルなのだから、
その日を信じていろいろなアプローチの仕方を変えながらやっていくしかない。
国語でもやるし、算数でもやる、生活科でもやる、すべての教科でやるわけだ。

「教えたふり」という批判は、その子にとっては真に理解している訳ではないので、全くその通りで、
否定はできない。しかし、その完成をあきらめるわけにはいかない。