現代数学の系譜11 ガロア理論を読む13 [転載禁止]©5ch.io
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0548現代数学の系譜11 ガロア理論を読む
2015/05/30(土) 09:39:38.64ID:oElFmoGEあらま、こんなのが・・
http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20081202/1228226660
hiroyukikojimaの日記 2008-12-02 数学の道が閉ざされるとき
抜粋
映画『容疑者xの献身』を観てきた。実は、小学生の息子が、「どうしても観たい」、といったので連れていくことにしたのだ。
この映画を観て、いたたまれなかったのは、石神の数学へのひたすらの愛と、道が閉ざされたことへの絶望が、とてもとてもとてもよくわかるからである。
数学を志した多くの人は、かなり早期に、つまり少年期に、数学に目覚めている場合が多い。そして、ほとんどの場合、数学以外の将来を考えたことがない。
数学がなくなれば、人生のすべてが失われてしまう。数学のない人生は、全くの無意味なものだと思いこんでいる。
だから、数学の道が閉ざされたときのぼくの失意は、石神のそれと同じである、と思えた。
ぼくは、三度目に院試に落ちたその日に、数学の道にけじめをつけようと思った。
その日も、実は、塾で講義をした。
数学科の知り合いで塾の同僚だった人に、「よくこんな日に講義ができますね」、と慰めとも皮肉ともつかないことばをかけられたが、講義を休むという選択も思いつかないほど、ぼくは落胆していたのだ。
そして、ぼくはそこでなぜだか、「数学者になれなくとも、数学のそばにいよう」という決意をした。一般企業に就職するような選択はせず、不安定な身分ではあっても、塾で数学を教えながら、数学のそばにいよう、そう決意したことを覚えている。
それから今にいたるぼくの話は、『文系のための数学教室』講談社現代新書のあとがきで読んで欲しい。
そんなこんなで、犯人である数学者・石神を眺めながら、ぼくはずっと落涙していた。
映画的な試みだと思うが、湯川と石神が冬山を登山するシーンは象徴的だったと思う。
数学の道も物理の道も、まさに、このような雪山の登頂と同じだ。極寒のなか、死をも辞さず、一心不乱に昇り続ける。それは、ひたすら、頂上で見える風景のためだけにだ。
そして、その風景は、普通の人には価値あるものには思えない類のものである。でも、それがなければ、人生が無意味になってしまう。数学の道とは、そういうものなのだ。
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