数学が「馬鹿には見えない服」として使われている
ことを、現場で証明したのが騒軽事件だったとして、
それを行っていた「思想家」たちが、悪い仕立屋だったのか、
王様の家臣だったのか、まさか王様だったのかが、
この事件の最も大切なところ。
事後の騒軽への批判の中で、王様だったことがバレてしまった
著名な研究者が少なからずいたことの方が、
騒軽の「論文」が専門誌に掲載されたこと自体よりも
遥かに深刻だった。