>>282それは典型的な誤解だと思う。
その「どう考えても手に負えない部分」をひたすら追求し
体得するのが禅定。どう考えても、とはつまり
どうやっても言語化出来ないし、技術かもできないし、
証明できないし、五感で感じさせることさえできない、
のだから「それ以外の方法でこちらのものにする」しか
ない。まさに試行錯誤である。その探求に言語と
文字を用いないだけ。むしろ現代科学はそういった
「目に見えないし、論理化も出来ないことをなんとか
してみよう」という態度から生まれたのではないでしょうか。
過去の成果をああでもない、こうでもない、と
文字の上だけで、あるいは議論で考えていても埒が明かない。
そこで実験してみた(言語化以外の方法)ら新しい空間が
生まれた、そんなところじゃないでしょうか。