古代のギリシアの数学者は哲学者でもあり、天文学者や物理学(自然哲学)者でもあった。
哲学することが主体であり、幾何学はそれを行うための力を身に付ける手段の1つだった。
哲学する中から証明の手法が生まれ、科学や証明は概念ではない。
科学における経験則や合理主義の考え方が生まれたのは、16〜17世紀のイギリスやオランダ(フランス)だ。
古代ギリシアの数学者に合理主義の考え方はなかったんじゃないか。
もしあったなら、ピタゴラス学派の無理数はないというような主張や破門はない。
ピタゴラス学派に積分の元になる求積の考え方は出来ない筈。
もし、インド人が円周率の超越性を数千年前から知っていたなら、
解析を使ってはじめて証明された、円周率という幾何学から生じた数学的概念の
事実を先取りして予言していたインド人は偉大だ。
超越数の概念を曖昧ながらも定義しつつ用いたのは、オイラーが最初だった記憶があるんだよな。
正しい予言あっての証明だな。