>>601

>論理や集合論にはそういう哲学がはっきりあって、その動機や意図はよく分かる。
>いっぽう圏論の場合はそういう哲学はないんじゃないかな?

ここがちょっとわからないです.僕は趣味で数学をやっていて哲学の方はパトナムと
かじり読みした程度でよくわからないのだけど,集合論や数学の基礎づけに哲学者
が関心を持つ理由というのは,それ自体の興味深さというよりは,「ある論述の体系
が数学全体をその上で展開できる程に豊かである」という事を言いたいからなのではないですか?

集合論という目鼻もない混沌とした理論に対して,ツェルメロが漠然と提案したモデルは
その後明確に切りだされて累積的階層モデルとしてテクニカルにも重要になりましたが,
「集合論宇宙の段階的創造」としてのこのモデルは何より「集合論は信じて良さそうなものだ」
と思わせる役割があったと思います.つまり「内的宇宙すべて」が集合論の上に載りそうか
どうかという話であり,(内的)宇宙図,宇宙論だと思うわけです.僕が「集合論の哲学」といったときに
思い浮かべているのは,そういう人間のあらゆる理性的思考がその上にモデル化,シミュレートできるような
内的宇宙の構造を述べるというものであり,その意味では圏論,とくに「全ての圏からなる圏」
などの扱いが漠然と示唆する「無限に入れ子になった宇宙」のようなものが圏論の背景にある
哲学なのだと思います.

集合論的な哲学が,集合論の実際の展開を通じて発展していったのと同様に,
圏論の哲学というのも,テクニカルな面に刺激されながら,現在成長発展していってるのだと思います.

特に,トポスと高階型理論の関係を考えると,遠回りしつつも圏論は型理論を含むかのように
発展していっていると思います.

(続く)