つづき

そもそも、「物理空間の濃度は?という問題」の建て方はしていない

ビッグバン理論:量子論的微小空間が、宇宙全体に拡大し、量子論的微細ゆらぎが大宇宙の構造を決定したと (物理的ふしぎ)
対して、
カントール無限論:数直線のどんなに微小な部分でも、を数直線全体に引き伸ばすことは可能 (数学的ふしぎ)

この不思議の共通点は、微小な部分を全体に拡大可能だという点
異なる点は、
一方が物理的な観測事実に裏付けられた話で、我々が生きている現実の空間への説明と起源を与えるていること
もう一方は、数学的な無限に関する理論で、無限を考えるとごく一部を全体に引き延ばし可能だと*)

*)
プリントしたものとか写真だと、どんどん引き延ばすと、プリントならインクの粒子が見えてくる。昔の銀塩写真だと銀塩の粒子が。デジタル画像だとデジタルの限界が見えてくる
だが、実数はそうではない。数直線を座標(x)で表すと、これはアナログ。だが、2進法とか十進法とはデジタルで、実数をデジタルで表すことは可能だが、無限小数を許すので、どこまで引き延ばしてもアラは見えない
カントールがしたのは、上記のようなことを数学的にきちんと扱ったこと
そのカントール無限論の対応物が、我々が生きている現実の空間じゃないかと。それを個人の所感として思ったと

”個人の所感として思った”という前提を抜かして、論理的に反論するのは滑稽だよ