9.1 truth theoryの専門家の若手の某先生も仰っている事ですが
 parodyやomageの作法に則って居ないように思われます。
 文学理論の基礎的な話で、分析哲学ではないですが。

 sacred⇔profaneのメトニミーは、個人的に非常に重要な話題だと思います。
 van DalenのLogic & Structureの序文にあるみたいですね
 "I have come to accept this viewpoint as the didactically sound one: before
 going into esoteric niceties one should develop a certain feeling for the
 subject and obtain a reasonable amount of plain working knowledge."
 このスレでも上の方で先駆者はesoteric (sacred)であるが
 徐々にdidactically sound(profane)になっていくというような話がありました。

9.2 Tarskiのtruth clausesに明晰でない部分がある、という話です。
 Hamkinsさんとかも似たような問題意識を持っている気がします。

9.4 WoodinのΩ論理がちょっと触れられています。私はΩ論理は全く知りません
 (一応Woodinとか依岡先生の雑誌の記事は持ってます)。
 でも、Woodinは"syntax"という用語を普通の数学者の想像も付かないような
 意味で使っているのではなくて、forcingのmechanicsやBaire性について普通の数学者より
 遥かに深い理解を持っている為に、 |-Ω が、普通の |- の類似物に見えている、
 と考えるのが常識的じゃないかなあ…… 実際、命題としては類似した性質が成り立つわけですし。

9.5- Quineの、定義は「同義性の報告」「解明」「名付け」の3通りに分類できると言う話がひたすら
 適用されています。この節以降は僕はQuineの論文を読んだことが無いので、
 どうして術語の多義性がこんなに批判されるのか、ちょっと良く分かりません。
 Quineのtwo dogmasを読んでから再読するかもしれません。
 
 個人的には、言葉が多義的でその境界が不分明であるのは当たり前の話であるように感じます。
 菊池先生も丸山圭三郎「ソシュールを読む」を参考文献に挙げていらっしゃいますが、
 共時的に意味があるのは語間の差異のみであって、さらにその差異性は常に揺らいでいるのです。