雑談はここに書け!【45】
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0694132人目の素数さん
2012/08/15(水) 07:02:55.80大日本帝国陸軍内の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校ら(20歳代の隊付の大尉から少尉が中心)は、かねてから「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、武力を以て元老重臣を殺害すれば、
天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が収束すると考えていた。彼らは、この考えの下26日未明に決起し、近衛歩兵連隊、歩兵連隊、野戦重砲兵連隊らを指揮して
岡田啓介(内閣総理大臣)
鈴木貫太郎(侍従長)
斎藤實(内大臣)
高橋是清(大蔵大臣)
渡辺錠太郎(陸軍教育総監)
牧野伸顕(前内大臣)
の殺害を図り、斎藤内大臣、高橋蔵相、及び渡辺教育総監を殺害。また岡田総理も殺害と発表された(但し誤認)。その上で、彼らは軍首脳を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えた。
しかし軍と政府は、彼らを「叛乱軍」として武力鎮圧を決意し、包囲して投降を呼びかけた。反乱将校たちは下士官・兵を原隊に復帰させ、一部は自決したが、大半の将校は投降して法廷闘争を図った。
本庄繁侍従武官長は決起した将校の精神だけでも何とか認めてもらいたいと天皇に奏上したが、天皇は『朕ガ股肱ノ老臣ヲ殺戮ス、此ノ如キ凶暴ノ将校等、其精神ニ於テモ何ノ恕スベキモノアリヤ』[37]と一蹴した。
川島陸相に対して天皇は、『朕ガ最モ信頼セル老臣ヲ悉ク倒スハ、真綿ニテ朕ガ首ヲ締ムルニ等シキ行為ナリ』『朕自ラ近衛師団ヲ率ヰテ、此レガ鎮定ニ当タラン』と強い意志を表明し、暴徒徹底鎮圧の指示をした。
この事件に関わった下士官兵は、一部を除き、その大半が反乱計画を知らず、上官の命に従って適法な出動と誤認して襲撃に加わっていた。事件後、中国などの戦場の最前線に駆り出され戦死することとなった者も多い。特に安藤中隊にいた者たちは殆どが戦死した。
なお、小林盛夫二等兵(落語家。後の人間国宝・5代目柳家小さん)や畑和二等兵(後の埼玉県知事、社会党衆議院議員)、後に監督として「ゴジラ」や「モスラ」を撮ることになる本多猪四郎がいた。
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