>>112-113
>計算過程で元の式と答が等号で結ばれる以上、論理的には元の式も積だ。
その論理でいくと、「3+3+3+3+3=3×5=15」は等号で結ばれている訳だから、
「3+3+3+3+3」は「積」であり、「3×5」は「和」である、ということも可能ということだな

>と群の言葉で書きかえられる。これは認めざるを得ない客観的事実。東大話法もクソもない。
「群論」に存在しない「÷」を、無理やり「群論」に適用し、「曖昧だ」としようとすることが東大話法。
存在しないものに曖昧も何もない。
さらに、論点は「a÷bc」であるにも関わらず、唐突に「a÷b」の話を始めることが東大話法。

>世界的論争に発展するということは、「÷」という記号が如何に曖昧な記号かを指し示しているんだよ。
誰かさんみたいな低能が多いということだな

>つまり、チューでやる数学も、算数の部分を含んでいるんですけど。
「ab」や「cd」の「省略×」を用いた表記が算数に含まれるか?という話だと理解できないのか?
まあ、お得意の詭弁ということだな

>世界的論争に対して日本のギム限定で答えを出す、とかいう下らんことは1人でやっててくれ。
以前に>>73で「答えが人種や場所により違ってきて当たり前」と発言しており、これによれば、
「日本のギム限定で答えを出す」ことには何の問題はないはずだが、言っていることが支離滅裂。
「人種や場所により違う」のか「人種や場所によらず同一」なのか、どっちなんだよ?

○「人種や場所により違う」の場合
 →「世界的論争を自国のやり方で解釈して勝手に答えを出すということは、バカげた行為だ」は、詭弁。
○「人種や場所によらず同一」の場合
 →「世界」の話題をすること自体が詭弁。さらに「場所」が「領域」「分野」も含むなら「群論」の話自体が詭弁。


その感情的に突発的に、ころころ変わる一貫性のない主張、そして、無駄に話を広げる詭弁は何とかならないものかね?