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虚空―あたかも虚空から呼出されたかのように: アレクサンドル・グロタンディークの人生 前篇その1 | スラッシュドット・ジャパン
日記 by taro-nishino2011年09月24日 5時24分
(抜粋つづき)

ブラジルを去った後、グロタンディークは1955年の1年をカンザス大学(おそらくN. Aronszajnの招待だろう。[Corr])で過ごした。
そこで、グロタンディークはホモロジー代数に没頭し始めた。彼が"Sur quelques points d’algebre homologique"[訳注:"ホモロジー代数のいくつかのポイントについて"]を書いたのはカンザス大学滞在中だった。
この論文は、それが掲載されたTohoku Mathematical Journal [To]の名前を冠して専門家の間で非公式に"東北論文"として知られるようになったが、ホモロジー代数の古典となり、モジュールに関するカルタンとアイレンバーグの研究を拡張した。
またカンザスにいる間、グロタンディークは"A general theory of fiber spaces with structure sheaf"[訳注:"構造的層を持つファイバー空間の一般論"]を書き、アメリカ国立科学財団のレポートとして出現した。
このレポートは非アーベルコホモロジーに関する彼の第1着想を展開した。非アーベルコホモロジーには後に代数幾何学の状況で舞い戻った。

この時前後、グロタンディークはコレージュ・ド・フランスのジャン=ピエール・セール(グロタンディークは彼にパリで会ったし、後にはナンシーでも出会った)と文通を始めた。
彼等の手紙のセレクションが元々の仏語で2001年、仏語-英語の二重バージョンが2003年に刊行された。[Corr] これは長く実りのある交流の始まりだった。
手紙は、非常に異なる二人の数学者の間の深く活気に満ちた数学的絆を示す。
(抜粋つづく)