文科省も大学も学生本人も大学院生としての
レベルは落としたく無い、と考える。
数学の教員はこれに答えられない。責任を文科省や学生本人に
おしつけて、教員や数学という学問には責任はないと逃げる。

すると、救世主があらわれる。
複雑系でも国際環境学でもよいが、内実はともかく、
ゆとり世代でも履修できそうな学問を発明し、
それを大学教育へ売り込む。
学生は自分の実力をわかっているから、多くの学生が
新発明の学科に入学する。
大学院生にもなれば、学会発表の場も
そういった学会は喜んで用意する。
(数学会は発表は自由だが、できない大学院生の
下らない発表を喜んで許す指導教員は少ないし、
いても露骨に冷笑される)

よって、建前上、新発明の学問では、
大学教育、大学院教育をみにつけ学会発表まで
こなす、時には国際学会発表までこなす
学生が大量にでてくる。

文科省も大学も学生本人も、そして当該学問の教員も
皆が喜ぶ構図ができる。