★★★伝説の数学者、増田哲也5★★★
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0515132人目の素数さん
2012/01/28(土) 01:39:06.13数学に比べて法律なんて代物は極めて恣意的であるのは同意しますが、
> そういう信頼出来る絶対的な判定基準に因って支配されているのは数学
> の世界だけですね。
残念ながら数学と言えども絶対的な判定基準に依っているとは言えません。
数学も恣意的です。
何故ならば、例えば数学の土台として用いる集合論の公理として何を認めるかによって
その上に組み上げる事が可能な数学の中身は実際に違ってしまいますから。
一番、分かりやすい例を挙げれば、集合論の公理として選択公理の代わりに決定性公理を認めると、
可算選択公理は成立しますが一般の選択公理は否定されますし、更に、より普通の数学の命題としては
「Rの任意の部分集合はルベーク可測である」という定理が証明できてしまいます。
また集合論の公理系の選択だけでなく、ゲーデルの不完全性定理によって、ある言明でもその否定でも
どちらでも選べる選択肢は無数に発生します。
更に、そもそも数学を組み立てる手段としての論理がブール代数を意味論とする古典論理である必然性は
何もないわけです。ハイティンク代数を意味論とする直観主義論理であって悪い理由は何もありません。
(自然演繹のスタイルで定式化すれば直観主義論理の方が推論規則が自然に見えるし、シーケント計算の
スタイルで定式化すれば古典論理の方が自然に見える)
もちろん、それら2つ以外にも無数の論理がありますね。
ですから、「数学」という言葉で何を指すかの問題にもなりますが、少なくとも現実に殆どの数学者が建設に携わっている実態&実体としての数学は
ZFに追加する公理として選択公理を選び、組み立て方としては古典論理を選んでいる、という意味で既に恣意的な存在であると考えておくべきでしょう。
少なくとも人間が存在しようがしまいが成り立つ(全人類が死滅した後でも例えば宇宙人がいれば有意である)と考えられる、宇宙で成立する原理、
例えば真空中の光速が最高速度であるなど、から組み上げられた物理理論(当然、永遠に近似にすぎませんが)よりは
我々が具体的に手にしている(そしてこれからも蓄えを増やし続けるであろう)現実の数学は恣意的であると思います。
勿論、最後のパラグラフは素朴実在論を前提とした主張ですが。
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