たとえば自然数論や実数論の「展開」で重要な加法の可換性

∀x,y ( x+y = y+x )

は集合論を採用すると「ωに制限したときに成り立つ結果と読みかえる」必要があるけど、
それが「大きな犠牲」なんだろうか?当たり前だろ、という気がする。
(もちろん、この場合にはその犠牲の「代償」はありがたいものですが。)
整礎部分に制限しないといけないことを「大きな犠牲」というのが分からない。