猫先生の論点は匿名か否かでしたか
個々人が議論や参加するときの目的や利益を考えたとき、日本人であるならその動機は個人でなく組織や全体(平成時代では空気とも言う)の利益のためになるように個々人の意識は働きます
そのため「でるくいはうたれる」ではありませんが、個人の主張や発想・改善点(革命)よりも維持や保身・同化(保守)が「善し」とみなされ、その価値観を村構成員全員で共有しようという環境が古来からの日本なのです
これは、某雑誌上で行った発言や寄稿の評価・評判を個人に帰属するより集団・組織に帰属させ、評価を得られない本人のには村構成員(寄稿メンバー)として「ながいものにまかれろ」のような保護が得られることで両者の関係は均衡します
したがって日本人気質で見ると、この「ムラ」システムは発言の責任を本人が直接負う不利益を回避でき、集団組織がメンバーの全てを保証してるので全体責任として個々人の責任が分散し、責任の所在が組織全体または帰属なし(あいまい)となります
逆にこれに反するようなことを言う者は、村八分のように職場いじめや嫌がらせを受け村から退去させられ、村総体(投稿時のルール)の存続が維持されます
ある文系分野の教科書には似たようなことはどこにでも書いてありますよ