>>247
> >>242-243
> 改めて整理してくれておもしろかった。
> しかしあなたが言っているのは「であった」論。俺が言っているのは「すべき」論。
> 歴史的には(あるいはナイーブには)言語の意味論にはいろいろな形態のもの
> があった(あってよい)のはそりゃその通り。一般人は、意味論と言えば、
> 机の上のあの辞書をまず思い浮かべるくらいだ。
> だが今の俺たちは、syntaxとsemantics、証明論とモデル論を区別するのが
> 当然の世界にいる。その世界にいる者が、いつまで、表示的、公理的、操作
> 的をあたかも3種の意味論であるかのように妙な3本立てにしておくのかと
> いうことだよ。
> この世界では、意味論といえば表示的。公理的はむしろ証明論と訂正したほうが
> がよいし、操作的は実行論とでも言えばよいんじゃないかな。
> そうすると変な混乱はなくなる。公理的や操作的が不要だと言っているんじゃ
> ないよ。

プログラミング言語の意味論は別に数理論理学のために存在しているのでも作られたのでもない。
何よりもプログラミング言語はプログラマというソフトウェアを生産する人々にとって実用の道具でもあり、
その意味論はプログラマがプログラミング言語でプログラムを作る際に、その言語の「意味」をより正確に理解し
正しく使えるようにする為でもある。

その実用としてのプログラミング言語の意味論の観点からすれば、表示的意味論など殆ど役に立たない。
(プログラミング言語を用いてプログラムを書くプログラマがスコット理論を理解せねばならない、なんて主張はナンセンス)

実用の観点からすれば、最も役に立つのは操作的意味論。
そしてバグのないプログラムを書く助けとなるのは公理的意味論。
だからプログラマという利用者の観点から見た「意味」の理論は操作的意味論や公理的意味論の方が表示的意味論より優先する。
学問の為の学問なんてのは単なるオナニーに過ぎない。プログラミング言語は数理論理学のために存在してるんじゃないんだから。