>>242-243
改めて整理してくれておもしろかった。
しかしあなたが言っているのは「であった」論。俺が言っているのは「すべき」論。
歴史的には(あるいはナイーブには)言語の意味論にはいろいろな形態のもの
があった(あってよい)のはそりゃその通り。一般人は、意味論と言えば、
机の上のあの辞書をまず思い浮かべるくらいだ。
だが今の俺たちは、syntaxとsemantics、証明論とモデル論を区別するのが
当然の世界にいる。その世界にいる者が、いつまで、表示的、公理的、操作
的をあたかも3種の意味論であるかのように妙な3本立てにしておくのかと
いうことだよ。
この世界では、意味論といえば表示的。公理的はむしろ証明論と訂正したほうが
がよいし、操作的は実行論とでも言えばよいんじゃないかな。
そうすると変な混乱はなくなる。公理的や操作的が不要だと言っているんじゃ
ないよ。