大学創世記の頃の話だ。学問は、日本の電力が(ほぼ)東西で分かれているのと同じような理由で、
英語の影響を大きく受けたものと、ドイツ語の影響を大きく受けたものとに分かれていた。
この状況の自然な帰結が、採用試験の段階で、どちらの専攻を主とするかに分けて採用するという
方法。その分離が「文」と「理」の区分けの最初。この入試での分離が、教科をも分離
することになり、「文系に属する教科」及び「理系に属する教科」のというイメージを作り、
それが発展して今の「文系」「理系」のイメージになっている。
数学が「理系」に属するのは、ここで「理」に分類がされたのが起点。数学や理科を含む「理」
が、「理」のイメージを作り上げ、そのイメージが強調・再構成されて、今の「理系」のイメージ
になっている。つまり、鶏と卵と関係にある。
理系の「理科」の部分のみを増幅し、数学の記述言語としての性質が本来は「文系」なのでは?
等と考える人が現れ、このスレタイのような疑問が発生しているだけ。
数学が理系に属するのは、(鶏の)卵からは鶏が生まれる、あるいは、
鶏は(鶏の)卵を生むというレベルで、当然ことで、覆りようのない関係である。
何かを言いたいのならば、「理系」「文系」という分類ではなく、
新しい観点から数学と多くの文系学問を含むような新しい分類法を創出し、
その分類法による、数学と多くの文系学問間の親和性の強さを訴えればよい。

新しい分類法で、数学が多くの理系学問と別の方向にカテゴライズされるようなことに
なるかも知れないことを、否定はしない。しかし、その分類法を、今浸透している
「文系」「理系」で済ましてしまおうという考えは、全くふさわしくない。