>>24
主体として考える機能をもつのは計算機ではない。
計算機であるかぎりマシーンである、

もし主体として考える機能があるなら、それは意思を持つことであり
自我の発生である。

ノイマン型では仕組み、仕掛けをソフトウエアとして提供するという
概念が基本であり、それが最大の利点である。
つまりアルゴリズムを考える(自動生成)することを特徴とした計算機
はノイマン型ではない。主体として考えずに、外部から与えられた命令に
よって形而上のデータを形而下の意味のあるデータに変換(計算)する
分析能力(アルゴリズム)はノイマン型で行うのは困難である。
そこには仕組み(仕掛け)ではない情報変換が必要となるわけ、
それを計算と表現するのは適切ではないと思われる。
変換やら、連想とか、高次な秩序を捉えて類似するものを生み出す類である。
つまり入力に対する出力の途中の演算は常に一定なアルゴリズムではない
静的(ソフトウエア)ではなく動的(ダイナミック変換)による手法となる。
これは原理としてアルゴリズムが外部から確認できないブラックボックス的な
装置となると思われる。
主体ではなく、道具としての変換器(自己ループ機能がない)ならば
与えられた回数の範囲で処理する類になるはず。(回数すら与えられた必要性)
動的な変換は初期パラメータから逸脱する可能性を含む故に回数を超えた場合は
初期値に戻ることが前提になるだろう。戻らないなら自己ループを可能性を
許容することになり、ブラックボックス構造故の無限ループ構造が出来上がり
コンピュータBUGによる暴走と同じ制御不能な道具ではない状況がそこに
作られてしまうはず。平穏に見えても主体になる人間とは違う計算をするなら
それは道具ではなくゴミの類や故障物である。