理論は善を目的にしているが、実践は善意であっても、善くならないものもある。
理論的には、善は全ての目的だが、理論に実践を考えると善は言い尽くせないものがある。
理論的に神が必ずしも善くならなくて、実践の為だけにあるとすると、善と神を含んだもっと良い
ことが必要になる。だが、神は全てを含めることなので、目的にはならない。
善の理論に対立するものが実践にある。理論の善と実践の目的を含めて神だというのだ。
そうすると、実践の目的は何かがあるというのだ。