自然→自然よりも大事なことがある→自然 対 人間→人間(=理性と社会)、自然と神

理性 知識、整理、原理
社会 システム、構造、論理駆動
自然 形相因、質料因
宗教 辿り着くすごいの

 どこから始まってるのかな、どういう答えの求め方してるのか。
 働きとか人間の構造とかどういう過程かを説明してると社会的な欲求から始まってる。
人間は心だとか精神だとか理性と言われるものは物質で説明すると何であるというと自然的な
欲求から始まってる。
 自然で説明しているのにいつになっても人間的にならないと不満を感じずに物で言うとこうなる
と満足すべきだ。スイッチとか構造を作っているのに究極の物に辿り着かないと不満を感じずに
人間中心で物を説明したらこんなことだと満足すべき。

 区別なんて無い。本質は始まりと終わりを区別して判らせなくてもいいんだというとどう説明するのか。
道とか通じるとかそういう説明になるようだ。合理論が大事なことが続けていく過程を説明する、
経験論がやってみて続いたとかやってみたけど終わったとか、どちらとも明確な区別がなくて、
終わってしまう経験があるような合理論は話さないで、考えない経験はしないようにするとか、
見通しとか勘みたいになってるようだね。