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もし、自然状態が、あらゆる存在の一様態である内外の分岐点、
すなわちそこにおいてあらゆる帰納と分析がなされるという、存在の多変数的状態、
つまりそれを偏微分しかできず、したがって変数間が互いに依存せず、
したがってあらゆる非相互依存的要素を列挙した関数において、
そのうちのどの項を偏微分するかが、この関数そのものである内的状態への無意識からの、
あるいは環境からの働きかけにおいて決まるという、そういった状態であり、
この状態が傾いていて、その傾性の度合いに応じてある変数の偏微分を行うのに要する時間が増減し、
この恒常式を意識の本質として、観念的な偏微分がその場限りの私の存在に収束するならば、
考えられる事態は二つである。
すなわち、私という帰結は中途であるにも拘らず、それでもその帰結で満足でき、
もって生になんら障害とならない相対的極だとするのなら、そこから推論は跳ね返って、
主体となり、私が行動するのである。あるいは、環境が、私という帰結以上の帰納をなかなか
許さないほどに忙しくさせ、もって私が行動の主体である、という安直な帰結にならざるを得ないのである。

(R.パキシル「数値化される現存在」大野誠訳 岩波新書 2005)