数理哲学スレ
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0001Kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc
2010/01/31(日) 16:33:100002132人目の素数さん
2010/01/31(日) 18:02:22どあほ
0003132人目の素数さん
2010/01/31(日) 18:40:08哲学的議論なんてできるわけが無いw
0004132人目の素数さん
2010/01/31(日) 19:30:01死ね
0005kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc
2010/02/05(金) 22:54:28哲学の天才は晩成型なのか
がわかった気がする
ところで地球人の数学体系って一義的なの?
0006132人目の素数さん
2010/02/05(金) 23:00:080007132人目の素数さん
2010/02/05(金) 23:02:520008kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc
2010/02/05(金) 23:06:33やっぱりこの板、年齢層低い?
0009132人目の素数さん
2010/02/05(金) 23:08:120010132人目の素数さん
2010/02/05(金) 23:29:16なに晩成型って?
その程度の哲学じゃたかが知れてるようだな(笑)
0011kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc
2010/02/05(金) 23:48:53日本語が不自由でごめん
0012132人目の素数さん
2010/02/05(金) 23:57:280013132人目の素数さん
2010/02/06(土) 00:02:430014132人目の素数さん
2010/02/06(土) 00:05:27だなw
0015132人目の素数さん
2010/02/06(土) 01:24:12>なんで数学の天才は幼児にすらいて、
幼児にすら居て、ってことでしょう。
ちょっと文法的におかしいだけだ。
だが、それくらい脳内変換すればすぐ理解できるだろう。
幼児ですら数学の天才が居て、ということなわけだ。
それと、
>晩成型
について検索エンジンで調べたら、案外使っている人がいるんだが。
0016132人目の素数さん
2010/02/06(土) 02:21:000017132人目の素数さん
2010/02/06(土) 08:42:360018132人目の素数さん
2010/02/06(土) 09:12:16そろそろ発狂するんじゃねーの?笑
0019kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc
2010/02/08(月) 17:15:11数学の発展は分析的であったか?それとも綜合的であったのか??
例えば微分積分は、純粋に数列や演算の知識から分析的に得られ得たのか??
どう思う?
幾何学と純粋数学の相互対応は、数学は決して分析的でないことを証してると思うが。
0020132人目の素数さん
2010/02/08(月) 20:02:230021132人目の素数さん
2010/02/09(火) 07:27:17分析的、統合的なにそれ??
0022kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc
2010/02/09(火) 08:26:47分析:ある対象の本質を、他の対象の存在を借りることなく導くこと
綜合:ある対象の本質を、他の諸対象の関係から導くこと
例えば、2+5=7
という数式はカントによれば綜合的。なぜなら、2、5という数字だけからは7という数字は
導かれないから。つまり、2の本質だけからは7は導かれないから、7は2の分析ではない。
0023132人目の素数さん
2010/02/09(火) 08:45:40考えていいんだな。そうだとすると、結論として
2+5=7が分析的とあなたは言いたいのだろうけど、
それが統合的であるかはまだ示されていないと思うぜ。
0024132人目の素数さん
2010/02/09(火) 08:49:48分析的でないだった
0025kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc
2010/02/11(木) 19:08:57いや、2+5=7が分析的でなく綜合的だと言ったのは、俺じゃなくカント自身だ。
で、7自身が導かれるためには、分析結果として7に至る操作か、5や2を用いて
全く7をい含まない素材から7を作るかだ。後者は綜合的だろ?
0026kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc
2010/02/11(木) 19:10:04どうも俺は日本語が不自由らしい。
哲学板でもさんざん指摘されてるけど。
0027132人目の素数さん
2010/02/11(木) 19:10:260028ソヤシ猫 ◆ghclfYsc82
2010/02/11(木) 19:57:56ほんならアンタは数学をどういう風に理解してんねん!
ソレをアンタが言わへんかったらやナ、アンタは卑怯者
っちゅう事になるわナ。そやしちゃんと答ええや
猫
0029132人目の素数さん
2010/02/11(木) 20:34:070030132人目の素数さん
2010/03/10(水) 22:14:100031kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc
2010/03/10(水) 23:40:02そういう風に切り捨てるのは簡単。
でも、対価案を示せないようでは、カントに少しも肉薄してないよ
0032132人目の素数さん
2010/03/11(木) 20:08:27定理がどのように見つかるかというと、それはまず
多くの実例から、定理の予想が立てられて
最後に演繹的に証明されることが多いです。
多くの数学者はカントの分析、総合を気にすることはありません。
しかし、数学者は無意識に分析、総合をしていることはあるかも
しれません。それは私には分からないことですけどね。
0033kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc
2010/04/02(金) 00:29:100034132人目の素数さん
2010/04/02(金) 02:49:44そのように考えるあなたのあたまが欠陥であり限界であると思うのですが。
0035kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc
2010/04/02(金) 07:43:120036132人目の素数さん
2010/04/02(金) 09:27:220037132人目の素数さん
2010/04/02(金) 11:23:09話し合う内容としてはふさわしくない。
0038132人目の素数さん
2010/04/02(金) 12:38:33あなたは初歩の論理さえおぼつかないようですな。
それがあなたの欠点であり限界なのです。
0039132人目の素数さん
2010/04/02(金) 12:54:05まあカントの数学観なんて幼稚なものは現代数学で超克されているわけだから
現代数学をまず学んでからカントを学ぶべきだな
0040kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc
2010/04/02(金) 16:43:390041kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc
2010/04/02(金) 17:05:490042132人目の素数さん
2010/04/02(金) 17:15:400043132人目の素数さん
2010/04/02(金) 19:16:190044132人目の素数さん
2010/04/03(土) 20:17:18>数学の発展は分析的であったか?それとも綜合的であったのか??
>>21
>分析的、統合的なにそれ??
>>22
>分析:ある対象の本質を、他の対象の存在を借りることなく導くこと
>綜合:ある対象の本質を、他の諸対象の関係から導くこと
本質って何?
0045132人目の素数さん
2010/04/03(土) 20:20:00>質を数値化できないのは数学の欠点であり限界であると思うのですが
色は三次元の空間で座標づけされているが
0046132人目の素数さん
2010/04/03(土) 20:22:59>じゃあ質、クオリアは数値化できるのですか?
できてもおかしくはない。
「おしらさま」こと哲学者の塩谷賢氏はそう考えている。
ちなみに彼は東京大学理学部数学科卒。同修士課程修了。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/塩谷賢
0047132人目の素数さん
2010/04/05(月) 14:39:42ただで教えてもらおうってのか?
知りたければ大学に行って数学をまなべ
>>41
数学者はカントなんか詳しく知らなくても構わないことを知っている
その反対におまえらは
カントだけで精一杯だから現代数学を学べない
0048132人目の素数さん
2010/04/12(月) 13:06:590049kyrie ◆Debha1lQgc
2010/04/16(金) 11:58:540050132人目の素数さん
2010/04/16(金) 13:42:27お前がカントで止まってるだけだ
0051132人目の素数さん
2010/04/19(月) 02:17:14昔流行ったカタストロフィー理論なんかはドラッスティックな質的な変化や様相を
隠れた連続パラメーターにより制御しようとした。
人(例えば上野さん)によってはこの理論は終わっているとも云うが別の人(福田さん)は
別の理論に名前を変えて脈々と生き残っているとも云う。
いずれにせよ、数学でクオリアのようなものを表現するのは難しいだろうが不可能とは
云い切れない。
0052132人目の素数さん
2010/04/19(月) 02:39:25数学や物理学のことなどに口を挟む必要はない
自分が理解していないことについて知ったかぶりするのは
哲学者としての根本的要件である知的誠実さに欠ける行為に
ほかならない
という理由で哲学かぶれがこの板にきても叩かれるだけで
おのれに益することは何もない
だから しっ しっ
0053Kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc
2010/04/26(月) 09:37:53お前らデカルトやライプニッツの原書読んだことないだろ。
微分積分は哲学的発想なんだよ。
数学が幾何学的直観との相互性により発展したのは、
純粋数学の分析だけでは今の数学体系を築けなかったことの例証だ。
数学は哲学されねばならない。
0054132人目の素数さん
2010/04/26(月) 10:02:000055132人目の素数さん
2010/04/26(月) 10:31:280056132人目の素数さん
2010/04/26(月) 14:15:19微積分と線型代数くらいはしっかりとお勉強して欲しい。
0057132人目の素数さん
2010/04/26(月) 15:21:00どうでもいいこと書いて威張るなよ
数学の発展に物理が寄与したのは正しいし
哲学がなんらかの影響を与えなかったとはいわない
しかしオマエのいう哲学が
数学に限らず
どんな他の学問に大きな影響を与える可能性はごくまれだ
そんなもの学ぶなら数学を学んだ方が哲学に役立つだろう
0058132人目の素数さん
2010/04/26(月) 15:59:15カントってアホだよな
0059132人目の素数さん
2010/04/27(火) 07:27:23数学に関してはアホ、哲学に関してはかなり凄い人らしい
0060132人目の素数さん
2010/04/27(火) 14:12:335+7=12
について深遠な思索を巡らす行為である
0061132人目の素数さん
2010/04/27(火) 15:59:420062kyrie@鬱 ◆Debha1lQgc
2010/04/30(金) 09:17:10ある数学的命題を分析し続けても、微分積分の理念は永遠に得られない。
それを俯瞰する原理、たとえば自然数が有理数へと包される原理は、純粋に数学的に発明されたのではなかったはずだ。
要するに数学的証明に基礎を与える公理系は、すべて哲学的発想だったといわねばならない。
0063132人目の素数さん
2010/04/30(金) 09:29:400064猫は雑魚 ◆ghclfYsc82
2010/04/30(金) 11:56:31猫
--------------------
73 名前:132人目の素数さん[] 投稿日:2007/12/23(日) 12:49:18
にちゃんねらーに個性はないが次の点は言える。
1.アンチ権力ではない。それほどの度胸は無い。
2.アンチ権力をからかって楽しむ。結果的に権力の思う壺。
3.弱いものと見ると寄ってたかっていじめぬく。学校でいじめられた
腹いせ。匿名だからありがたい。
4.強いものには本質的に弱い。一見強気を挫くにみえるが、そんな
恐ろしいことは到底できない。
5.政治に参加できるほど成長していない。選挙は棄権。
なりゆきまかせ。
0065132人目の素数さん
2010/05/01(土) 01:19:47幾何学的直観と哲学がどんな関係にあるって?
何かと何かを融合するのは哲学なのか?
アホか
チキンライスとオムレツをむすびつけて
オムライスを作ったのは哲学の大いなる成果だとでもいうのか
それが哲学ならなんでも哲学や
カントはオムライスを生み出せなかったのだから
たいした成果をあげられなかったという評価になるなあ
哲学者がそんなあほなことを言ってると思われたくなかったら
お前はさっさと白旗あげて退散しろ
0066132人目の素数さん
2010/05/03(月) 02:34:260067茂草鬱一郎
2010/05/05(水) 00:23:28ヒモ哲学者だと見破られて、日本育英会から奨学金もらえなかったというはなしは育英会の内部でも有名な話。
「塩谷賢」AND「ヒモ哲学」でググッテみろ。面白いくらいくらいヒットするぜ。
0068132人目の素数さん
2010/05/05(水) 00:27:28そのグロ面なんとかしろ。
0069kyrie@鬱 ◆Debha1lQgc
2010/05/06(木) 12:41:47何かと何かを理論的に融合するには、融合関係を把握しなけりゃならんだろ。
それに対応する学問が哲学しかない以上、融合するのは哲学の仕事だ。
ちなみに融合とかいう単語は全然学問的じゃないから、注意な。
哲学用語では綜合という。
お前らはどうも綜合と分析の関係を理解できてないな。
お前らカント位読めよ。哲学徒の俺がガウス曲率の求め方を知ってるのと
同じくらい、理系にとってもカントは基本だぞ。
0070132人目の素数さん
2010/05/06(木) 12:49:070071132人目の素数さん
2010/05/06(木) 14:22:04勝手なこと言って他人の手柄横取りするなよ
カントが何を融合してどんな新しい数学や物理学を作ったというのだ
カントはニュートン力学という出来合の理論を天からの贈り物だという
哲学的でっちあげをしただけだろう
カントは哲学ではエライのはいいよ
だがな
そんなもの理系の役にたたない
カントが哲学的考察から相対性理論や量子力学を生み出したなら
えばれよ
哲学者の大盛りなんとかっておっさんだって
相対性理論のあとで哲学的なんとかかんとかって考察してたが
そんなもの屁のつっぱりにもなるか
お前理系でもなんでもないのになんでカントが基本なんて
でたらめ断言できるのだ
それだけでも哲学にインチキさ知的不誠実さが見えるというものだ
0072132人目の素数さん
2010/05/06(木) 15:01:280073132人目の素数さん
2010/05/06(木) 17:05:31哲学によって数学上の発見はできないけど、
哲学を精神的バックボーンにして数学研究してた人はいるみたいだね
リーマンとか
>リーマンの「概念優位」の考え方の背景にはヘルバルト哲学の影響があったことがよく指摘されている。
>ヘルバルトはカント以来のドイツ観念論の流れをくむ哲学者の一人として有名であるが、
>その中心思想はカントのものとはかなり異なり、「経験から修正・一般化のプロセスを通して徐々に概念が形成されていく」というものである。
>そして第2章でも強調したリーマンの数学思想における大胆な「仮説性」も、このような考え方を背景にしている。
『数学する精神』p.129
0074132人目の素数さん
2010/05/06(木) 18:37:33かまわない
奇妙な宗教を信じていても
それが偉大な発見に役立つことだっていくらもある
だからといって
理系の人間が哲学や宗教を基本として学ぶ必要があることにはならない
個別の事例が一般的な結論を導くわけではない
哲学の鬱野郎がガウス曲率の求め方を知っていたからといって
別段えらいわけではないし
それとカントを学ぶ理由を結びつけるなど
馬鹿以外のなにものでもない
たんに自分の土俵にもちこみたいだけの下司野郎だよ
この鬱は
0075kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc
2010/05/12(水) 15:34:45もし、自然状態が、あらゆる存在の一様態である内外の分岐点、
すなわちそこにおいてあらゆる帰納と分析がなされるという、存在の多変数的状態、
つまりそれを偏微分しかできず、したがって変数間が互いに依存せず、
したがってあらゆる非相互依存的要素を列挙した関数において、
そのうちのどの項を偏微分するかが、この関数そのものである内的状態への無意識からの、
あるいは環境からの働きかけにおいて決まるという、そういった状態であり、
この状態が傾いていて、その傾性の度合いに応じてある変数の偏微分を行うのに要する時間が増減し、
この恒常式を意識の本質として、観念的な偏微分がその場限りの私の存在に収束するならば、
考えられる事態は二つである。
すなわち、私という帰結は中途であるにも拘らず、それでもその帰結で満足でき、
もって生になんら障害とならない相対的極だとするのなら、そこから推論は跳ね返って、
主体となり、私が行動するのである。あるいは、環境が、私という帰結以上の帰納をなかなか
許さないほどに忙しくさせ、もって私が行動の主体である、という安直な帰結にならざるを得ないのである。
(R.パキシル「数値化される現存在」大野誠訳 岩波新書 2005)
0076132人目の素数さん
2010/05/12(水) 16:11:330077132人目の素数さん
2010/05/12(水) 16:20:48ここまでヒドイとはな
0078132人目の素数さん
2010/05/12(水) 17:08:310079132人目の素数さん
2010/05/12(水) 17:52:48ソーカル事件で扱われたような
衒学的に数学用語を使っただけの虚仮威し
偏微分とはなにかすらわかってないぜ
0080132人目の素数さん
2010/05/12(水) 17:54:53だとしたらとっとと死ねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ゴミクズスイーツ(笑)が!wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0081132人目の素数さん
2010/05/12(水) 19:08:07ないか?
0082132人目の素数さん
2010/05/13(木) 01:48:36こんなところまで来て態々恥をさらすな
お前のせいで哲学真面目にやってる人間の印象が悪くなるだろ
やるならもう少し勉強してまともなことが言えるようになってからにしろよ……
0083132人目の素数さん
2010/05/13(木) 11:25:02よ……。
一応つっこみ入れておくと。
>数学の発展は分析的であったか?それとも綜合的であったのか??
その話をするのに、なんでカントを持ち出すの?
論理実証主義に対するクワインの批判や、Indispensabilityの議論は参照したの?
>幾何学と純粋数学の相互対応は、数学は決して分析的でないことを証してると思うが。
「決して分析的ではない」と言い切れる根拠は何?
たとえば論理主義は数学を論理学に、形式主義は記号の羅列に換言しようとして、
ある程度成果を挙げているわけだけど、それについてどう思うの?
というか哲学(数学ではなく)におけるプラトニズムと
アンチプラトニズムの議論を把握して語っているの?
BenacerrafやHartry H. Fieldは知ってる?
>5や2を用いて全く7をい含まない素材から7を作るかだ。
カント読んだことあるの?
対象は7個なきゃいけない。素材から7を「作る」わけではない。
乱暴に今風にまとめてしまうと、
「或る集合の要素と自然数の要素は一対一対応の関係をもつ」
ということをカントは考えている。
そして、その素材(対象)自体は7という基数の概念に包摂されいる。
kirieの表現は、数の概念と数の把捉とを混合しているように思える。
0084132人目の素数さん
2010/05/13(木) 11:26:44>現代数学でどうカントが超克されているのか
カントは自然数のみを数と認めていて、負数、無理数、虚数に対応できていない。
アリストテレスからカントに至るまで、「数とは1(単位)の集合であり、具体的な対応物をもつ」
というのが通念だった。数も図形も必ず単位を以って表現されなければならない。
ところがその考え方だと無理数を表現できない。対角線を描くことはできても、その長さを書き表せない。
だからこそユークリッドは数論・算術ではなく、幾何学を重視した。書簡でカントは√2の扱いについて
苦しい説明を迫られている。また負数に関しては「0の位置を任意に設定した際に現れる便宜上の数」としている。
これも現代数学とはズレる。また具体的対応物を持たねばならない以上、カントの数学にとって虚数はあり得ない。
「超克された」とは、必ずしも言えない。けど、さっきの「5や2を用いて7をつくる」という素朴な議論は、
現代には当てはまらない。カントの数論を「分析-総合」という枠組みだけで語るのは時代遅れ。
>純粋数学の分析だけでは今の数学体系を築けなかったことの例証だ。
数学史を語りたいなら、その話は有意味だけど、数理哲学を語る上で、その問い方が適切だとは思えない。
先も言ったとおり無理数の問題のために、ユークリッドは数論を扱いたくても、十分には扱えなかった。
だからこそ、19世紀以前の数学の考察対象は、主に幾何学だった。
その意味では確かに分析だけが数学ではなかった。
けれどもそれは綜合の方が必要不可欠、ということの証明にはならない。
なぜなら、西洋数学は幾何学「しか」扱えなかったのだから(厳密な意味における学問としては)。
けれども、ヒルベルトが単に記号の羅列としての公理に、ユークリッド幾何学を還元してしまった。
つまり君の用語でいうところの「分析」で幾何学を語れる。このことについてはどうさ。
>ちなみに融合とかいう単語は全然学問的じゃないから、注意な。
哲学用語では綜合という。
いわねーよ。
0085132人目の素数さん
2010/05/13(木) 15:54:13ぱきしる
ていうのは鬱の薬じゃねえか
大野誠
ていうのは
自宅入院ダイエット
の著者じゃねえか
哲マニアはどこかの精神病院に入院しているのか?
0086132人目の素数さん
2010/05/14(金) 09:10:04::::::::::::::::::::::::::::::::::::li::| :|lハ::l l:::::::::::::::::| |::::i::::::::::::::::
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「人がそれを知る必要があるのかな?
知らなくたって、ずっとこれまでやってこれたじゃない。
人の世界はそれぞれ勝手に神様を作って、
世界はこうだって思い込んでいたじゃない」 serial experiments lain
0087kyrie@鬱 ◆Debha1lQgc
2010/05/14(金) 13:00:30もし世界の全貌fを、数式をモデルとする、たとえば観念論と実在論という絶対にかみ合わない
二分法をとり、それを項とする。各項のうちどれを今思考の主な枠組みとするか、を、1か0かでなく、
表そうとする。各項をある変数の傾き(思想の傾向性)で各項の傾きを求めるために、
(パラメータtは考慮に入れず)微分すると、思想内容全体性fの、現時点で保持している
傾向的思想を微分の結果傾き1とするような、そういった式が得られる。
この操作自体は、ある特定の変数だけを微分対象とするような厳密な意味での偏微分では
ないものの、変数群を微分に際して等価に扱わず、異なった割合について
体系全体性を微分するというまさにこの意味において広義の偏微分なのだよ、
と俺は解釈した。
0088kyrie@鬱 ◆Debha1lQgc
2010/05/14(金) 13:06:38ある程度成果を挙げているわけだけど、それについてどう思うの?
フレーゲラッセルの論理主義は確かに問題提起としては面白いと思うが、
言明の記号化は十分でなかった。なぜ彼らは、論理式にベクトルを導入しなかったのか。
ウィトの論考は、時間がなぜ進むのかを全く明らかにしていない。ベクトルさえ導入すれば、
ゼノンの矢のパラドックスも解けたものを。
0089kyrie@鬱 ◆Debha1lQgc
2010/05/14(金) 13:19:43乱暴に今風にまとめてしまうと、
「或る集合の要素と自然数の要素は一対一対応の関係をもつ」
ということをカントは考えている。
そして、その素材(対象)自体は7という基数の概念に包摂されいる。
これは解釈の違いじゃない?もちろん俺はカントを読んだし、貴方の話では
4や7が何か対応するものをもつならば、その数の対応において算術をすることは
分析では勿論ないし、綜合の定義とも異なるように思える。
数に対応した抽象的存在が、再び4や7の意味をもつためには?
ただ抽象的写像を介した対応物の操作の結果得られた11が、4+7という
意味をもつためには?この対応物の操作が経験的であり綜合的であるが、
11という結果をなぜ欲し、なぜ数を操作したのかの必然性が、失われてしまうわけだよ。
それをどう考える?
0090132人目の素数さん
2010/05/14(金) 18:04:26誰も相手にしないで済む
0091132人目の素数さん
2010/05/14(金) 20:04:10どうやって導入するの?
読んだのか。じゃあ諸用語の詳しい説明省くよ。
>4や7が何か対応するものをもつ
外延量の原則、および図式論における数の定義に従う。
概念に対応する対象があるなら、必然的に数えられる。
>綜合の定義
綜合の定義ってなにさ? ついでにカントにとって数学とは、
結論的にどういったもの? 読んだのならわかるよね。
>数に対応した抽象的存在
大前提として、カントにとって、抽象的なものは”存在しない”。
>再び4や7の意味をもつためには?
統覚の綜合的統一を前提として”再び”意味をもつ。これがまず前提。
その上で、構想力における図式機能が、各々の抽象的概念に従って、構成をなす。
ところでカントにとって数とは”純粋図式”であり、時間における
同質的なものの把捉である。同質的なものとは、純粋形象としての
空間・時間である。何か或るものを構成するとき、その純粋形象は
必ず含まれる。なぜなら、感性論で空間・時間は、諸対象の
ア・プリオリな形式だとされたからだ。経験的なものは必ず形式を伴う。
そしてこの形式(的直観)が、純粋形象、つまり同質的なものといわれる。
したがって、概念は確かに経験から抽象されたものに過ぎないが、
それにも関らず数えられる。なぜなら数とはその概念の構成に際して、
不可避に含まれるものだからである。
0092132人目の素数さん
2010/05/14(金) 20:06:10それって健全な定式化なの? それともただの比喩に過ぎないの?
あと、主語と述語くらい整えてくれ。読みづらい。
>>88
論理式にベクトルを導入してどうなるの?
また、ベクトルの導入を論理の体系内でどう正当化するの?
>>89
横から失礼。
というか何を言っているのか分からないのだけれどまあそれはそれ。
あと、主語と述語の対応くらいきちんとつけてくれ。君の言葉はひどく意味が見出しにくい。
3+9=114+7=
4+7=11という場合は、右辺11の意味は「4+7という式の計算結果である」ということだよね。
フレーゲの『意味と意義について』の話なんだろうと思うのだが、そこについてはどうだろうか。
その上で、君の批判が「カントのやり方では11という対象の意義と意味の違いが明確にならないじゃないか」というものならば、フレーゲの言ってることと大差ないよね。
フレーゲの言を借りてカントの方法を批判しているのかな?
009392
2010/05/14(金) 20:08:25>>89
横から失礼。
というか何を言っているのか分からないのだけれどまあそれはそれ。
あと、主語と述語の対応くらいきちんとつけてくれ。君の言葉はひどく意味が見出しにくい。
確認したいんだが、3+9=11と4+7=11の間の違いが保存されないじゃないかと言っているの?
4+7=11という場合は、右辺11の意味は「4+7という式の計算結果である」ということだよね。
フレーゲの『意味と意義について』の話なんだろうと思うのだが、そこについてはどうだろうか。
その上で、君の批判が「カントのやり方では11という対象の意義と意味の違いが明確にならないじゃないか」というものならば、フレーゲの言ってることと大差ないよね。
フレーゲの言を借りてカントの方法を批判しているのかな?
0094132人目の素数さん
2010/05/14(金) 20:09:02問い方がおかしい。カントが第一批判で述べているのは、
数学についてではなくて、数学の可能性の条件についてである。
そして数学が可能であるためには、証明の諸プロセスが具体的経験において
構成可能であることが必要だと語られる。一方「数」は純粋図式として、
時間・空間における同質的なものの把捉。もっと言えば、
「経験における」同質的なものの把捉。この同質的なものを1とし、
その反復として数が産出される。こうして産出された数と、
具体的個物が一対一対応する。そして数も個物も経験の内にある。
しかるに抽象的写像は、経験の内側にない。ゆえに、カントの
思想は写像関係に対応できない。したがって、上の言い方は間違っている
>11が、4+7という意味をもつためには?
カントの思想だと、結局この問題に十全に答えることはできない。
だから上でも言ったように、カントの綜合・分析で数学を語っても、
得るものは少ない。
一応解釈しておく。まず先も言ったように、数学の可能性の条件が、カントの問うていることであった。
そして厳密には、「いかにして数学が現実に可能か」ということである。
ところでカントは算術を綜合的判断と言ったが、その目的の一つに
ライプニッツの不可識別者同一の原則への批判があった。
数は対象の内的差異によって識別されるとするライプニッツに対して、
カントは数を純粋直観としての空間・時間における、外的差異だとした。
つまり対象の場所が違えば、数も違う。対象を把捉する尺度が違うなら、
やはり数も違う。ここでの「場所」や「尺度」は、図式としての、
概念の「構成」に拠る。そしてだからこそ、数は純粋図式だとされる。
つまり数は、厳密には概念ではない。数は時間と空間の中で構成される。
そしてそれは1の反復という仕方で為される。
0095132人目の素数さん
2010/05/14(金) 20:09:210096132人目の素数さん
2010/05/14(金) 20:10:48タイミングかぶってすみません……。
さて演算7+5=12を考える。
これは「時空内の構成」に根拠をもっている。数とは1の反復であった。
ゆえに7とは1の7回の反復であり、5は1の5回の反復である。
そして7回反復した後、さらに5回反復すれば、12回反復となる。
そしてこれは実際に経験可能。つまり直"感"的に理解可能。
このことを根拠に、演算はア・プリオリに綜合的であると言われる。
注意が必要なのは、このことが必然的であるのは、根拠がア・プリオリに
綜合的だからであって、常に再三再四綜合的であるわけではない。
たとえば3×4=12は、掛け算を習った人なら即座にわかる。
だから思惟する時点では、綜合的ではない。ただ、3×4が現実に、
経験に対応物をもつ仕方で12となり得る根拠が、ア・プリオリに
総合的だと語られるのである。そして根拠が経験にあるために、
数学は現実に応用可能だとされる。
>この対応物の操作が経験的であり綜合的
経験的ではなくア・プリオリ。なぜ操作がア・プリオリに綜合的であるかと言えば、
統覚の綜合的統一、純粋悟性概念、超越論的時間規定、純粋直観のゆえ。
>11という結果をなぜ欲し、なぜ数を操作したのかの必然性が、失われてしまうわけだよ。
日本語の意味がわからないから、言い換えて。
0097132人目の素数さん
2010/05/14(金) 20:11:110098132人目の素数さん
2010/05/15(土) 03:45:490099132人目の素数さん
2010/05/15(土) 11:01:020100kyrie@鬱 ◆Debha1lQgc
2010/05/18(火) 14:39:24>概念に対応する対象があるなら、必然的に数えられる。
つまり概念を数に還元している、ということですね。
その際、概念の順序性を失い、及び演算の際、それがその数であった必然性は失われます。
概念を単純に可算的な対象に対応させて演算するのなら、11という結果は
3+8でも4+7でも変わらない。計算の過程の、その数でなければならなかった必然性が
失われるのです。「対応は、演算の際にも保存されている」というのなら、それ以上は
言いませんが、カントはそうは言ってないですよね。
0101kyrie@鬱 ◆Debha1lQgc
2010/05/18(火) 14:47:53>その上で、構想力における図式機能が、各々の抽象的概念に従って、構成をなす。
>ところでカントにとって数とは”純粋図式”であり、時間における
>同質的なものの把捉である。同質的なものとは、純粋形象としての
>空間・時間である。何か或るものを構成するとき、その純粋形象は
>必ず含まれる。なぜなら、感性論で空間・時間は、諸対象の
>ア・プリオリな形式だとされたからだ。経験的なものは必ず形式を伴う。
>そしてこの形式(的直観)が、純粋形象、つまり同質的なものといわれる。
>したがって、概念は確かに経験から抽象されたものに過ぎないが、
>それにも関らず数えられる。なぜなら数とはその概念の構成に際して、
>不可避に含まれるものだからである。
これはおかしいですよ。
直観形式そのものが同質的だと言うのなら、直観形式たる時空は確かに数えられるが、
その数えられるべき必然性を内部に含まないからです。
しかも、形式そのものが数えられるわけではありませんよね。
ある時空的直観形式を通過した経験(概念)が、数えられる、と言いたいのですよね。
しかし、経験は、その多様性ゆえに、数えられる際に意味を失ってしまいます。
その数えられる際の意味の保持と、数えられるという同質性との同時性を示してほしいです。
0102132人目の素数さん
2010/05/18(火) 21:17:370103132人目の素数さん
2010/05/18(火) 22:09:31続きやるなら君のスレでやろうよ。一応書いておく。
>つまり概念を数に還元している、ということですね。
違う。全く違う。概念は数に還元できない。外延量の原則と図式論読んだ?
> その際、概念の順序性を失い、
概念に順序はないよ。大前提。なぜ大前提なのかといえば、
カントにとっての数学の定義にかかわる問題。
>及び演算の際、それがその数であった必然性は失われます。
超越論的統覚の再認作用が、その必然性を担保する。また、把捉の或る対象が数えられるならば、
それは必然的にその数である。なぜなら、「数える」ことと「同質的なものを把捉する」ことは、
同義だからである。数は純粋図式であり、ある種のアナグラムである。あるいはアルゴリズムと
いった方が適切か。「具体的個物としての対象」と「概念としての数」とは、図式機能によって、
必然的に結合される。つまりたしかに経験の所与物は偶然的ではあるが、それにもかかわらず、
そこに同一性を見出す。とくに「数」に関して言えば、その同一性は、任意の概念に規定された
対象の形象である。その個物は1として把捉される。逆に言えば、1であることが個物の必然的
条件である。数の構成は、普遍的かつ抽象的な概念を、個別的かつ具体的事物において再構成する。
対象はたしかに経験的概念ではあるが、その構成の仕方は、常に同一である。つまり任意の概念は、
数の図式にしたがい、対象を把捉する。その把捉の仕方が同一であり、普遍的であり、かつまた
具体的で個別的である。概念がそのような性質を以って数として肉化可能なのは、構想力における
図式のためである。図式は概念でも対象でも形象でも単なる表象でもない。そしてその図式において
ア・プリオリな性質をもつものが、数である。
>概念を単純に可算的な対象に対応させて演算するのなら、11という結果は 3+8でも4+7でも変わらない。
11というのはカントにとって(1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1)のことに他ならない。
それ以上のことを彼は述べていない。
どうして3+8や4+7の同値性が問題となるの?
0104132人目の素数さん
2010/05/18(火) 22:12:45>計算の過程の、その数でなければならなかった必然性が失われるのです。
計算の過程は、同時に構成の過程でもある。そして外延量の原則にしたがう限り、
構成の過程は常に必然的である。なぜなら、その構成に従う以外の方法で、我々は
数を認識不可能だとされるからである。
>「対応は、演算の際にも保存されている」というのなら、それ以上は 言いませんが、カントはそうは言ってないですよね。
保存はされない。先にもいったように、具体的な演算の際には、経験には関与しない、
と解釈している。カントが語っているのは、数学の根拠が、数や概念と対象との対応にある、
という点。数学の可能性の条件について。ただそれだけ。
>その数えられるべき必然性を内部に含まないからです。
>ある時空的直観形式を通過した経験(概念)が、数えられる、と言いたいのですよね。
ちがう。君は、「直観形式」を、経験内容と区別しているけれど、厳密には区別不可能である。
カントはたしかに、まず悟性と感性を、そして感性の形式と内容を区別した。しかしそれは
考究上の都合で区別せざるを得なかっただけであり、それぞれ区別できるような代物ではない。
概念なき直観は認識されない。正確にいえば、図式を介して為される把捉作用によって、
表象として加工される以外に、直観はあり得ない。直観は、既に常に把捉を被っている。
このことを前提として。時空はいわば把捉対象の「要素」と見なされる。そしてその要素は、
同質的なものである。この同質的なもののみを把捉できる根拠が外延量の公理である。
そして繰り返すことになるが、この同質的なものとしての要素は、あらゆる対象に必然的に伴う。
ゆえに外延量をもつあらゆる対象は数学の対象となり得る。
>その数えられる際の意味の保持と、数えられるという同質性との同時性を示してほしいです。
意味の保持って具体的にどういうことさ?
同質性と同時性って何と何とのさ?
0105132人目の素数さん
2010/05/18(火) 22:15:210106kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc
2010/07/02(金) 15:07:26遅くなって申し訳ありません。もう読んでいないでしょうが…
>超越論的統覚の再認作用が、その必然性を担保する。また、把捉の或る対象が数えられるならば、
それは必然的にその数である。
いや、貴方は分かっていない。その数である必然性は、カントにおいては
担保されていません。担保したのは、初期フッサールです。
初期フッサールが、1から20までの数の、その数そのものである必然性を示したのです。
数えられる際の意味の保持と数えられるという意味の同質性とは、カント哲学にとっては
理解不可能なようですね。なぜなら、カントはそれぞれの演算以前の数の
具体的なあり方を、抽象してしまうからです。概念を、数に還元しているのです。
これを貴方は否定しましたが、概念を数に対応させている、といえば
分かっていただけるでしょうか。
0107132人目の素数さん
2010/07/04(日) 17:56:01鬱病さんは知覚後の形而上学的な世界を問題にしていて、鬱病さんじゃない方は数の認識過程を論じ
多少議論にズレが生じているわけだ。
ただ門外漢の俺がなんとなく思ったことだが、存在すること自体が形而下界との弛まざる接触に
由来しているわけだから、結局、人間はフィジカルな物的存在に過ぎず、その意識とやらもスクリーン
に映し出された幻燈に過ぎないとは云えないか?結果として、数も純粋図式に還元することはできても
実態としては人間の認識上に存在し得ないんじゃないか?
悪い、畑が違うから議論が噛み合ってないかも
0108132人目の素数さん
2010/07/04(日) 18:04:55馬鹿カント、いかれヘーゲル、狂えるマルクス。
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