続き:

そもそも「理解というもの」はその人固有の状況であって、
従って相手が学生であろうと何だろうと、その「理解の状況
を確かめる」のは原理的に不可能である。つまり相手が「自
分は理解した」と自ら主張すれば、もうソレは「ソレ以上は
理論的には追求不可能なモノ」であって、従って全ての他人
はその本人の主張を認めざるを得ないのであって誰も否定す
る事が出来ない。

せめて成績という矮小化された数値目標のみを記述する考え方
を早々に放棄し、「評価」程度の表現に甘んじ、学生さん各人
の自主性を尊重する考え方に立脚しなければ、これまで日本が
踏襲して来た「年長者が若輩者に対して教えて遣わす」という
トップダウン方式の「押し着せ」から脱却する事が出来ない。
とにかく学生相手に「鵜呑みにせよ、鵜呑みにせよ」と強要す
るのではなくて、知識の量や頭の回転はどうでもいいから、
とにかく「自分で考えよ、自分で考えよ」と連呼する事に
よって過去の過ちを是正し、その結果として:
「誰々がああ言っている、何処何処にこう書いてある」
という形の発言を若者から一掃し、権威主義的な考え方を撲滅
しなければならない。

自分の頭を使うという原点に立ち返らなければ何も始まらない。

猫