>>459
ええまあ混同と言うか、(駅弁の)現状はそれなりに見て来たとは思います。
数学科の学部教育で卒論をgive upしてからどれ位経つのかは存じ上げません
が、現状では修論がかなりその存在意義を問われているのではないでしょう
か。微積分や線形代数が怪しい人達に対して「取り敢えずは形式だけは立派
なものを準備」とは言っても、それに如何程の意味があるのでしょうか。そ
して、その「形式」の為だけに学生も教官も共に苦しむ、というのが私には
大いなる矛盾に見えて仕方がありません。無理して修論を課さなくても学力
の向上は可能と考えますが、如何でしょうか。(幾ら体裁を整えても、中身
は変わらないと思います。)或は「未完成」であってもその内容を正当に評
価出来れば、それを以てという考え方もあると思います。無理して「完成と
いう形式」を採るよりも、その方が意味がある場合もありませんか。

現実問題、現在の修士が昔の学卒みたいな認識は私も昔から当然心得ていま
す。でもだからと言って現在の博士が昔の修士という訳にも行かないのでは
ないでしょうか。私の考えでは「学位取得者」というのは、ある種の「国際
標準」であるべきで、もしそうでなければ各大学の国際的な信用に関わって
しまいます。

教授一人当たりの(問題となる)学生数は当然ご指摘の通りで、だからこそ
現状の様に極度の混乱に陥るのではないでしょうか。私の一つの代案は、学位
取得条件を極めて(例えば昔程度か、或はそれ以上に)厳しくして、その代わ
りに学位の無い者でもファカルティとして受け入れてはどうでしょうか。これ
は極端な意見であるのかも知れませんが。