宗教がなければ、人間は縄張りを争う動物以上のものでなく、
宗教のみが私たちの精神を高みに引き上げると何世紀も言われ続けてきた。
今日のように、宗教が世界中で流血の暴力を引き起こしていると、
キリスト教やイスラム教やヒンドゥー教の原理主義者たちが教義を悪用し、
ねじまげているという主張はむなしく響く。
 一世紀以上前に、「カラマーゾフの兄弟」などでドストエフスキーは、
神が存在せねばすべてが許されてしまう、と神なき倫理的虚無主義の危険を警告した。
現代のテロリズムの教訓は、神が存在すれば、
神の代理として直接行動を主張するものには、
何千もの罪なき部外者を爆破することも含めすべてが許される、ということだ。
なぜなら神と直接結合することで、
人間ごときの抑制や考察を踏みにじることが正当化されるのだ。
 第七回十字軍の最中、右手に火を、左手に水を携えた老女の存在が報告された。
火で天国を焼き尽くし、水で地獄の火を消すのだという。
「誰もが天国の恩寵や地獄の恐怖によってでなく、
ただ神の愛だけのために善をなすことを望むゆえに。」
今日、この本来のキリスト教の道徳的立場は、無神論に見られる。
 宗教的原理主義者は神の意志を実現し救済を得るために彼らが善とみなすことをする。
無神論者は、それが正しいことだから善を行なう。