グロタンディーク(Grothendieck)の「収穫と蒔いた種と(Recoltes et Semailles)」
現代数学社(1989)からの引用を続ける(自戒を込めて)。

注27
「若者たちの気取り」、あるいは純粋性の擁護者たち

ロニー・ブラウンはJ・H・C ホワイトヘッド(ブラウンは彼の学生でした)
の考察を私に知らせてくれました。
ホワイトヘッドは、「ある定理は、その証明がトリビアル(自明)だから、
トリビアルと信ずる若者たちの気取り」について語っているということです。
(中略)
私はこのことについては特に敏感です。
なぜなら数学において(また他の事柄においても...)私がおこなった
最もよいもの、私が導入した、もっとも実り多いと思われる概念や構造、
そして忍耐強く、執拗な仕事によって、これから引き出した基本的な性質は
すべて「トリビアル(自明な)」というこの形容詞の下におかれてしまうもの
だからです(今日では、これらの事柄はどれも、もし著者がすでに名声を
獲得していなかったならば、「報告」(CR)のノートとして受け入れられる
機会を得られなかったでしょう!)。
私の人生を通じて、数学者としての私の願望、あるいはむしろ私の情熱と
喜びは、つねに明らかな事柄を発見することでした。
(中略)
多くの場合、決定的な事柄は、まだわかっていなかった問いを見出すと
いうことであり(それに対する解答がいかなるものであれ、また解答が
すでに見い出されているか否かを問わず)、まだ認めらておらず、
理解されてもいないある状況を要約し、含んでいるひとつの命題
(予想であったとしても)を引き出すことです。
それが証明されたとしたら、その証明がトリビアルでもそうでなくとも
大したことではありません。それはまったく付随的なことです。
また大急ぎで、臨時的におこなった証明がまちがっていることが
わかったとしても同様です。