>>320
書き込む前に新着レス見るの忘れてました。まあいいか。
結局、公理を決めることは、論理それ自体では不可能ですね。

>>318-319
はい。客観的な正しさ、というものがほしいのです。
特に、「その議論に意味はあるか」と「公理は妥当か」の二つは、論理では判断がつかないようなので。(注1)

あなたの意見では、「個人の主観の問題だ」というような意味の結論になることが多いので。(注2)

>>321
そうですね。私もいろいろ考えたのですが、やっぱり不都合がでますね。
自然科学系は使えるのもできましけど…

「多くの観測者・観測記録からなる観測結果・実験結果は正しい」(注3)
これがあればたいていの科学データを正しいとできるので、たいていの科学知識は正しいと演繹できます。

ですが政治・宗教・文化的な問題では有効な公理がうまく作れませんでした。
そこで力が出せねば意味はない… これも取り下げですね。
私のアイデアはほとんど論破されてしまいましたね。(それも一つの前進)


あと、私はいろいろな書き方をしていますが、どれが一番読みやすいですか?
一番書きやすいのは(注)をつけるやり方ですが。

(注1 「その議論に意味はあるか」については違うかもしれませんが。>>318)
(注2 そうはいっても「客観的に正しいとは何か」なんて、簡単に答えの出る問題ではないですが)
(注3 何度も何度も間違いのデータは出ない。何十人、何百人という学者が同じようなデータを出し続けている。
    と、言い換えられます。「いや、何度も同じ間違いをすべての学者がしたのだ」という人はいるかな?)