たとえ話をしたいと思います。友人が傘を持ち、私は傘を持たない事について理論的に説明したいと思います。
前提1「私も友人も慎重な性格で、雨が降る確率10パーセント以上あると判断したら、傘を持って外出する。」
前提2「友人の判断材料は天気予報とする」
前提3「私の判断材料は自分で空を見て肌で空気を感じたときの直感とする」
前提4「私が肌で感じた直感の答えは10パーセント未満だった」
前提5「天気予報は10パーセント以上の確率で雨が降ると言っていた」

結論1「私は傘を持たなかった」
しかし、友人には「傘を持っていったら?」と言います。友人「何で?」。私「天気予報で10パーセント以上って言ってたから。」
結論2「友人は傘を持っていった」

私と、友人の結論は「持つ」「持たない」で全く違います。しかしそれは前提が違うのだから当たり前です。
私と友人はお互いの結論が違う事で議論する必要は全く無いです。お互いの前提を理解しあっているからです。

1さんは前提(公理)に興味があるようですから、前提2と前提3、つまり、なぜ、友人と私の判断材料が違うのか?
どちらが正しいのか?と質問しそうな気がします。ですからそれも説明します。
なぜ、前提2と前提3なのか?これを理論的に説明する時は、前提2を結論Aとし前提3を結論Bとします。
前提6「友人は、手軽な手段で、高い確率で天気を判断する手段は天気予報に従う事が一番だと考えている」
前提7「友人は、手軽で確率が高い手段をとるべきだと考えている」
前提8「私は、自分の感覚で判断することを楽しいと感じている」
前提9「私は、楽しい手段をとるべきだと考えている」

前提6、7から結論Aが得られ、前提8,9から結論Bが得られます。
なぜ友人は前提7を選ぶのか?それを説明するには、前提7を結論Cとして、、、(ここからは繰り返しになります。)

私と友人では価値観が違いますから、当然、前提(公理)が違ってきます。
それが自然でしょう。人類皆同じ価値観で同じ前提を持っている世界は私は嫌いです。

もちろん説明しきれない暗黙の前提はたくさんあります。それらについては、暗黙の了解が成り立っていれば説明する必要は無いと思います。
話し相手(1さん)が疑問に思ったときに詳しく述べるべきものだと思います。