公理の疑問点2
「絶対正しいものはないが、検証によって正しい可能性を上げることはできる」
の考えが、現実的でしょう。
「正しい」の定義を「公理から導かれる命題である」では、上の考え方と相性が悪いのです。

最初の発見…見間違いかもしれない、観測機の欠陥かもしれない。
  ↓
検証で向上…観測の繰り返し、観測機性能向上など
…の繰り返しで正しい可能性があがる。

以上のシステムが、「公理」では相性が悪い→(説明しにくい)です。

○ふと思ったこと
にしても、232さんとの議論はもしかしてただの意見のすれちがいかな?(スレ違いではなくて)
議論・検証の大切さは232さんもわかっておられるはずだし、私も、>>232−233の話は
筋が通っていて納得しましたし、演繹はあてにならないと書きましたが、精度が十分高ければ
便利に使えることには同意。
たぶん、観点のちがいでしょうか。
私は検証を重視し、232さんは公理と演繹を重視している。232さんも。公理はどうやって決める
と聞かれたら、たぶん議論と検証を大なり小なり使うでしょう。
『望遠鏡に塵がある』 『実際に他の物を見てみたらゴミがない。』なども、
一度目は見間違いかも→何度も見たが、間違いない。と言うステップがあったはず。

たぶん考えの根底そのものは一致していると思うのですが。どうでしょう。