法学部生が役に立たない理系を見下すスレ3
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0090132人目の素数さん
2006/07/08(土) 21:54:40問題がずれているのではないでしょうか?
数学の体系における公理の真理性の保証の問題と、法解釈学の学問性との問題は
直接つながりようもありません。
確かに数学の諸体系には有限の公理が前提されているでしょう。
しかし、問題は体系の形式化とそれに伴う当該形式体系の理論的正当化の論拠と
される無矛盾性であって、公理の真理性云々とは分けて考えねばなりません。
公理といくつかの規則により、論理的厳密さをもって導出されていく過程が数学である
わけであって(数学専攻の皆さん、偉そうに言って申し訳ありません)、導出過程が
いい加減では数学の証明にはなりえません。
他方で、法解釈学はといえば、例えば前提たる基本原理や制度趣旨ならびに法典の条文から
結論を導くために法的「推論」を経るわけですが、この「推論」過程が論理的とは言いがたいのでは
ございませんか、と言っているわけです。
つまり、法的「推論」における論理性の問題を数学における公理の真理性に摩り替えて議論するのは
明らかな誤謬です。敢えて比較するというなら、数学の証明過程と法的推論過程の両者の比較でしょう。
もっとも、すべての学問はその成り立ち・性格・役割などを異にし、体系も違って当然で、
一概に数学をモデルとして、そこからの距離で各学問の学問としての正当性を測るべきとも
思いませんが、敢えて言うならば、少なくとも法解釈学が人類の英知を結集した精華の一つとも
言うべき「数学」という学問を笑う資格など、逆ならありえても、聊かもないということです。
法解釈学の中でもいわゆる刑法総論は、最も論理的一貫性が求められる分野と言われていても、
例えば民法や憲法さらに商法などよりははるかにましかもしれませんが、それでもその理論構成は
極めて杜撰と思えるものがあまりに目立ちすぎる、ということも友人は口にしていました。
もちろんこれは一つの意見に過ぎませんが、私もとりわけ民法解釈学において、常にそう思っていました。
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