数学と哲学
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0176132人目の素数さん
2006/09/10(日) 19:17:30たとえば群論の公理系(wikipediaでは定義と書いてあるけど)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A4%E8%AB%96
に対して、これは自明とは言えない!とか言って
疑念を差し挟むことに果してどんな意味があるのかな
とりあえずこれこれの性質が成り立つ対象を考えましょう、
と言ってそれを議論の出発点にしてるんだから、
いや待て、公理を何の反省も無く信じてしまってよいのか?とか言ったってどうしようもないんだよ
そもそもユークリッドの原論の公理、公準だって「自明な前提」じゃなくて、
恐らくは当時のストア派とかの批判に晒されて
とりあえず公理公準が成り立つかどうか、ということ自体の議論と
公理公準からどういうことが帰結するか、という議論は分けてしまいましょう、
ということであのスタイルが生まれたんであって
二千年前のギリシャも、百年ほど前のヒルベルトの公理論だってそうだが、
敢えてこういうことは問わないことにしよう、と自覚するのが数学者の方法論かと
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています