>>64
まずシュヴァレー(弥永昌吉の友人)が来日。東北大に滞在していたときに淡中に頼まれて
東北雑誌に論文を投稿。その後、グロタンがアメリカ滞在中にいわゆる「Tohoku」を執筆。
長すぎて掲載誌がみつからなかったのかな。それでシュヴァレー(グロタンの知人)が
東北雑誌への投稿を斡旋したということらしい。