ようするに、(普通の)集合というものは、可算有限回の「要素を取り出す」
という操作をすると、最後は集合ではないアトムになるはずだという
信仰があるのですね。底なし沼のようなものは認めず、どこかに歯止め
あるいは土台があるという。
 でも、可算無限回の操作が出来たり、可算無限回の操作を可算無限回
行ったり、さらに可算無限回の操作を可算無限回の操作を可算無限回行ったり
とか、そういう自由が数学の本質だといって既知外になるのが立派な
こと(偉いこと)じゃなかったんですか?