■■世界三大数学者とは?■■
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0091132人目の素数さん
2005/08/01(月) 12:20:20いや、ハズせるよ。Euler先生はハズせないけど…。
こう言うと敵を増やしそうだけどあんまりNewtonは関心しないんだよな。
EulerとNewtonの違いは、個人的にはArchimedesとEuclidの違いだと思う。
要するに「数学(あるいは物理かもしれないけど)とは何たるか」という認識が違うと思うのですよ。
ArchimedesやEulerの哲学っていうのは数学を方法論として、ある意味では非常にabout(flexibleと言うべき)に捉えて扱っているのに対し、EuclidやNewtonはそれを体系とでもいうか、何かキチッとした枠組みの中に納めて扱った感がある。
一見はEuclid方式の方が普遍(不変)的な感じがするんだけど、なんかそれで閉じてるって感じがして…。
方法論の一つとして(例えばいわゆる抽象代数学みたいに)何らかの枠組みを持ち込むのは大いに結構だと思うけど、その枠組みそれ自体がある数学的実体の本質とは思えんのですよ。
物理だからあんまり適切な例じゃないかもしれないけど、例えば量子論はやれHeisenbergだの、Schrodingerだのいろんな教義があるけど、それはDiracやJardonの変換理論という処方箋で結ばれる。
それを何かの枠組みの中にキチッと当てはめようとするとNeumannやらのHilbert空間的に扱える。じゃあ、それが本質かというとそうとは思えない。
事実、自由度が有限ならいいけど、無限自由度に持っていくとうまくいかなくて、結局もう一回変換理論という方法論的なものに立ち返らなきゃならない。
そういった意味でArchimedesの方式は非常にorthodoxだけど、globalで…。
だから本質としてあるべきなのはやっぱりArchimedes的な数学でないとイカンというか、っていうかそれが「数学」であって他(Euclid)のはそれこそ一種の哲学や宗教めいたものであって「数学」とは違うような気がする。
そういう(すごい個人的な)観点から考えるとNewton力学をEuclid方式で展開した(おまけにalgebraを用いなかった。それをちゃんとalgebraで焼き直してして、モノにしていったのはEuler先生達なんですね)、Newtonはあまり本質的な数学者とは言えないと思うのですよ。
もちろん、それはある種のstanceの問題であってNewtonもちゃんと本質を心得ていたとは思いますが…(でも、そうなるとやっぱりEuler先生の方が何枚か上手に思えるんですね)。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています