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京都賞で来日したころのヴェイユはもう見るからにヨボヨボで
支えが必要で一人では歩けないレベルだった。実際、4年後に死去した。
当時のヴェイユが弥永に「この次に会うのはあの世になるだろう」
といったとすれば、自分の(お互いの?)ヨボヨボぶりを嘆いてのことだろう。
当時のヴェイユには数学者としての優越感に浸る余裕はなかった。
受賞講演のテーマも楕円曲線論の歴史だったし。