藤原問題の隣りには、われわれの問題がある。論文数などという表面的
なものに拘り、あるいは「〜賞」に拘って、数学そのものへの想いを忘
却していることが、藤原ひとりを処断することで、改善されはしない。
処断もいいが、われわれ自身の「反省」も不可欠ではないのだろうか?