>>429
(ここはHilbertやGrothendieck等について語るスレではないかと思いながら)
「教育によって可能であるか」と言われると「教育」のテリトリーがどこまでなのかによると思いますが…。
学校とか公に教育がなされる場においてなされるお勉強に限った意味での「教育」ではやっぱり難しいと思う、人間はマニュアルに沿って形成されるもんじゃないから。
でもお勉強に限らず、学校そのもの自体とか家庭とかもっと広義的に社会の中で生きていく中から学び取っていく一連の過程(まぁ、成長というんですか)を教育と呼ぶんなら、そりゃ可能じゃないかと。
というか、可能でないと困りますけど。逆に言うと教育とはそういう大きな流れの中においてはじめて成されるものでその中でなら可能なことだと思います。
(僕自身は学校の勉強はキライだったけど学校を朝一に登校して、日が昇り、何事もなくただ自然に一日が過ぎていって、日が沈むって何気ない日々をみんなと一緒に過ごすことが何よりも楽しかったし、勉学以上にその中でいろんなことを学んだ気がします。
今は大学に入りましたがそんな日々が過ごせた我が母校はとても誇らしい高校だったと思います)。

で、「正直」であることの現代的な意味ですか…、そんなことを言われても困りますが。
結局正直さとか勤勉さというのはその人の心のありのままの反映なわけで、心の在り方というのは正直であるとかないとか以前に古今東西において人が人として生きていく上では欠くことが出来ない要素ではないでしょうかね。
個人的には僕はどうしようもなくヒネた人間ですから、本当に正直で純真な人に会うと素朴に感動したりとかします。
殊にここは数学版ですから数学に関して言えばいつか岡潔が「仏の心がわからなければ数学はわからん」みたいなことを言っていた気がします。
人間的にはイカれているけど大天才という人もラジカルで魅力がありますが、でもやっぱり人間性がある人の方が僕は立派だと思いますし、美しい真理を見つける人はやっぱり美しくあってほしい。
そういう点で日本の科学者は素朴に尊敬できる方々がおられると思いますが…。

そもそもこういう類の話題だったら数学というより司馬遼太郎あたりを当たられたほうがいいんじゃないんですか(「坂の上の雲」とか「太郎の国の物語」とか)。