岡本和夫と佐々木力
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0860佐々木の大学院時代
05/02/14 17:24:03もう少し詳しいことについては・・・
当時の大学のキャンパスにはヴェトナム戦争反対の声が満ちあふれていた。佐々木氏は学生運動の方もやり始めると徹底してやらないと気がすまなかった。
マルクスの『資本論』、トロツキイの『ロシア革命史』、ドイッチャーの『トロツキイ伝』などを読み、さらには理学部の友人たちと語り合って、
ヴェトナムの解放に連帯して理学部反戦行動委員会を組織して、学生を動員して活発な反戦運動を展開した。
しかし、あくまで数学青年であった佐々木氏はつねに数学を中心に考えていた。転機が訪れたのは一九六八年、大学四年の時だった。
一九六八年という年は、青年の世界的な急進化の時代で、フランスにおける五月革命、ヴェトナム革命の前進、
チェコスロヴァキアにおける反官僚闘争などによって特徴づけられる。日本においては、一九六七年以降の羽田、佐世保、王子など、
ヴェトナム戦争をめぐる一連の反戦闘争を経て、一九六八年後半から六九年にかけて、
「全共闘運動」と呼ばれる運動母体による大学闘争の爆発を迎えた時期に当たっていた。
佐々木「・・・ 当時は青年の急進化の時代ですから、私も科学とか数学の責任問題について考えることを余儀なくされました。
数学なんかに責任なんかないんじゃないかと思うかもしれませんが、違うんです。そのころのヴェトナムへの爆撃は兵士が直接危険を
犯してやるわけではなく、オペレーションズ・リサーチという数学の理論を使って、
攻撃目標をできるだけ精確に攻撃するために空路まで定めて、それでもって爆撃することが一番効果的という考えに立っていました。
それで数学者の戦争加担ということが問題になりえたんです。とくに研究費がNATOから出てるということでね。
日本やフランスの数学者たちも、それに反対の声をあげるようになりました。それで私はドクターに進学した時点で、やはり本格的な学問は、
数学という学問を歴史的、総合的に反省する数学史だろうと思って数学をやることにしたんです・・・」
http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/~ctakasi/hatachi/sasaki.html
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