村上陽一郎『安全学』に見る貧困なる精神
東大駒場キャンパスの教官や学生と話していておどろいたのだが、村上陽一郎氏の評判がものすごく悪い。
すでに東大を定年退職してから10年弱にもなるのだが、彼にかかわるさまざまな伝説が語り継がれている。
大学院生の指導教官になっているにもかかわらず、学生とうまくかみ合わず、適切な指導もできないとか、
構内で自身が指導している学生に会ってもまったく気づかないとか、あるトラウマを背負った精神異常者だとか、
列挙したら暇がないほどである。
文科系でも本物の研究者は、学会誌論文に重きを置き、絶対に商業誌には書かないか、めったに書かないようにしているか、
どちらかであろう。村上氏には学会誌研究論文が極めて少ない。学会誌に掲載されているのは講演記録等である。
HPで公開されている著作を吟味してみると、95%が商業誌に掲載されたものである。それも文献を読み、解説である。
商業誌でオリジナリティの高い論文を発表するなり、社会の安全を守るための新たな提案等であればそれなりに位置づけられるのだが、
ただ自身の趣味として書き続けているのである。

彼の多くの著作を関連学会のしかるべき専門を持った研究者が査読したならば、大部分がリジェクトされるにちがいない。
いくつかの新聞社の部長クラスに聞いたのだが、マスコミでの村上株は暴落を続けている。
よく言うひとでも、昔はまあまあだったが、最近はひどいと。

彼の『安全学』を読みおどろいた。この問題については、過去に数回触れているのでくり返さないが、
彼の弊害は見過ごせない。その本は、1998年12月4日に発行されているのだが、残念ながら彼の貧困なる精神のため、
視点に先見性がなく、それ以降に起こるJCO等の問題点をすべてはずしてしまっている。
安全のイロハも知りえない科学史家が軽々しく「安全論」(200頁)なる用語を使用しない方がよい。
http://www.smn.co.jp/JPN/security/art/334.html