『医学史と数学史の対話』
(川喜田)「「フィロソフィー」という言葉のもともとの意味(「知恵を愛する」か
ら派生した「理性的な知的議論」というほどのもともとのギリシャ的意味)で言うな
ら、関心がなかったとも言いえませんし、関心をもちたい、そうでありたいと思い続
けてきたというなら、少しは当たっているでしょうが。日本語で「哲学」と訳されち
ゃうと、ちょっとひっかかるふしが……(笑)」

(佐々木)「そうですね。私は実はわが国の最近の「哲学」なるものに非常に不満を
もっているのです。日本の「哲学」なるものは、19世紀後半のギリシャの原義がす
でに消えかかり専門分化して以降の、新カント派などの、ある論者が「近代スコラ哲
学」と呼ぶような議論のスタイルを導入したものですから。哲学の科学史的研究が要
請されるゆえんです。〜中略〜それから、もう一つ、これは現実的すぎることですが
、東京大学で哲学を専攻しようとするもののほとんどは文科三類から進学するわけで
すが、この人たちは一般に数学や自然科学に苦手意識をもっている。これでは科学哲
学を研究する者としては、それほど望みをもてない。理科系からの転向者でもないと
ね(笑)。」
▽佐々木自身が文系蔑視観の持ち主であることがよくわかります。
東大の科哲も主に文三と理一の理数系科目の出来が良くない学生が集まっていること
もきっと気に入らないのでしょうね。だったら科哲は大学院だけにして理系の学部出
身者から人を集めればいいことです。それすら必要ないかもしれませんが。