「梅棹忠夫の「文明の生態史観」といった試みがそうです。その試みには学問的に学ばれる
べきことがらがたくさんあると私は思います。しかしながら、イデオロギー喧伝をこととす
る、その史観のエピゴーネン的試みになると、明確にそうではありません。」
(『科学技術と現代政治』からの引用)
▽この男、『科学論入門』だけではなく色々なところで科学技術の“イデオロギー性”なるもの
を殊更に強調したがるのですが、

「フランス革命の理念が退潮したナポレオン時代、あるいは戦後のアメリカ社会で、なぜ科学者
が政治的にもことのほか重視されたかを省みれば、科学的テクノロジーが思想的に一定の傾向性
をもった人間の業であることに気づき始めるはずである。科学や技術はそのままストレートに政
治的イデオロギーのようなイデオロギーとは言えないかもしれない。が、一定の目的を助長する
手段として機能しえ、また目的自身の策定を補助し、時に私たちの望みもしない生活環境を形成
するという意味で、立派に“イデオロギー”機能を果たしうるのである。」『科学論入門』p81

▽科学技術がその時々のイデオロギーとは無縁ではありえない、そりゃ当たり前ですね。だから
「健全な技術は健全な政体のもとでのみ発展する。」(p124)と佐々木は言います。しかしこの本
では何が健全な政体なのかは「環境」というような形容詞をつけてうまくぼかしてありますが、
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