>>233『科学史的思考』から
「筆者は、ギリスピー創設のプログラムに大学院生として1976年から4年間
在籍し、この事典(註:DSB)と一定の関係をもつことになった。筆者がプリン
ストンに到着した1976年には、事典刊行事業は最終局面を迎えようとしていた。
しかし、ギリスピーの担当項目である「ラプラス」は、本巻には入れられず補巻に
回されることになっていた。ラプラスはフランスのニュートンと呼ばれ、近代科学
思想史の一頂点をなすと位置づけられているものの、これまで重要な研究はなされ
ていず、また世界中にギリスピーをおいて執筆に適任の学者は存在していなかった。
ラプラスについての項目執筆にまつわるエピソードは、事典の性格にさらなる光を
投ずることになろう。
ギリスピーは1976年、この困難な項目に決着をつけるためラプラスの科学的経歴
に関する研究セミナーを大学院学生とともにもつことになった。ギリスピー教授は
ラプラスの公刊された大著と取り組み、各大学院学生は一つもしくはいくつかのこれ
まで科学史家が目を通したことがないと想像される論考と格闘することになった。
筆者が解読しようとしたのは、青年ラプラスがまさしく初めてパリの科学アカデミー
で発表したラテン語の数学論文であった。ギリスピーが後で述懐したところでは、
このラプラス研究が彼のそれまでの研究経験の中で最も困難なものであったという。
いずれにせよ、半年間の共同研究は事典中最長の項目(230ページ)に結晶した。
計らずも、筆者の研究も項目執筆に生かされ、筆者の名前も貢献者として記載される
ことになった。」
▽このページ(p96)にギリスピー夫妻と佐々木が一緒に映った写真が載っていますが、
ギリスピーが何だか水木しげるの妖怪イラストみたいで笑えました。
この後にDSBはマルクス主義に公正な扱いをしていない、と文句をつけています。