『科学史的思考』から引用
「ギリスピー教授は、私の論文がすでに学術雑誌に印刷するだけの価値があることを指摘
した後、私の研究方法があまりにも思想史的(インターナル)に偏していること、最近の
アメリカ科学史の動向は社会学的(エクスターナル)であり、その手法を学ぶ必要がある
ことを示唆したのであった。私はこの指摘を聞いて密かに「しめた」と思った。私の科学
史研究の初志は社会的問題の解決にあったからである。」

▽この文章だけを読む限り、普通はそんなに変なことは書いていないという印象を受けます。
しかし、佐々木が「社会学的」「社会的」などと言ったら字面からだけでは全然予想もつか
ないような狂いに狂った内容を意味しているのです。次は『社会から読む科学史』からの引用

「たとえば私たちが「社会」という場合、どういうことを想い浮かべるか考えてみましょう。
私は1965年に大学に入学したものですが、そのころ影響力のあった日本の知識人たちは、
まずは社会科学者だったと思う。宇野弘蔵にしろ、丸山真男にしろ、大塚久雄にしろ、非常に
大きな存在であった。(註:全部左翼。)彼らの語る社会というのは、資本主義社会だとか
社会主義社会だとか前近代社会だとか、グローバルな意味をもっていた。ある意味で「危険」
な意味をもっていた。また、その当時の学生の「社会科学研究会」といったものも、体制批判
的な意味で社会を問題にしていた。アメリカでは社会という場合、そういう体制を問題にし、
それをくつがえすという意味は、まず存在しないといってよい。」
▽「私たち」じゃなくておまえだけだろ、「社会」が「左翼」に直結しているような馬鹿は。
ギリスピー教授が余計なことを教えてしまったばかりに、佐々木はそれを完全に歪曲して捏造
学問体系としてのイデオロギー偏向科学史に突き進み始めたのでした。