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数学的数とイデア的数

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0001132人目の素数さんNGNG
プラトンのイデアと幾何学数について考えてみましたが
よくわからないので、誰か答えを教えてください。
0002132人目の素数さんNGNG

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0003132人目の素数さんNGNG
数学はイデアの世界だからスレタイにある両者は一緒です
0004132人目の素数さんNGNG

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0005132人目の素数さんNGNG
>>3
どうもありがとうございます
一応、考えておきます
0006132人目の素数さんNGNG
プラトンはピタゴラス学派を理解できなかった。
しかしその真理をなんとなくは理解していたので、
どうしてもそれを自分の学説に取り込みたかった。
ドキュン文系の系譜学はここに始まってるわけです。
0007132人目の素数さんNGNG
イデア的数なんてものはありません。
数概念の影響によりイデアを発明したのがプラトンです。
しかしアリストテレスは、数をイデアと実体の中間に
位置するものでなければならないという固定観念から
離れることができず、奇妙な形而上学を編み出しつづけます。

デカルトの哲学が流行したりサイバネティックスが流行ったりと
一時的な現象として、この起源が思い起こされることもありますが、
結局のところ難しいのでマイナーな存在に留まります。
0008132人目の素数さんNGNG
  右の事柄(不動にして永遠的なる実体の有無)に関しては二つの見解が存する。
  すなわち一方にある人々は数学的なるもの、例えば数や線やまたそれと同種の
  ものをもって実体であるとし、また他方にある人々はイデアをもって実体で
  あるとしている。しかもある人々は両者をもって一性質のものであるとし、
  さらにある他の人々は数学的なるものをもって唯一の実体であるとするのである。
  それゆえにまず第一に数学的なるものについて、いかなる他の性質をもそれに
  添付することなく、それを考察しなければならなぬ。すなわち例えばそれらが
  イデアであるかないか、またそれらが存在者の原理や実体であるかないか
  などということではなく、ただ数学的なるものについて、単にそれが存在するか
  存在しないか、しかしてもし存在するとすればいかにしてであるか、を考察
  しなければならなぬ
  (講談社学術文庫 アリストテレス『形而上学』岩崎勉訳 13巻1章から)

「ただ数学的なるものについて」、つまり現代で言えば数学を行うことの内に
数学的対象の存在論(しいてはそこから派生したイデアや実体などの概念の存在論)が
含まれているということになる、ととってもいいのではないでしょうか。
ハイデガーはプラトンやアリストテレスが数を前にして戸惑っていた現実を無視して
本質=存在という単純な図式を導入することで、彼らの真の問題を意図的に切り捨てたように
見えます(形而上学入門を読む限りでは)。またこのことは英米系の哲学一般についても
言えます。
0009132人目の素数さんNGNG
age
0010132人目の素数さんNGNG

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mage
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