東北大学三年生になって、佐々木力は理学部数学科に進学した。二十歳だった。

「数学科の学生にとって、三年生の時が一番重要なんです。どうしてかというと、
現代化した数学の基本を学ぶからです。たとえば代数方程式についてのガロワ理論だとか、
位相空間論、微分幾何学、実解析、複素解析の基礎などです。
午前中にそういうもののレクチャーを受けて、午後は一時から五時まで演習です。
先生が助手を連れてきて、問題用紙を配って二時間ほどで解かせる。
それを必死になってやるわけです。そのあと先生に当てられた人が板書するんです。
私が解いた問題について、ある教授が『これはだれが解いたのか?』と聞く。
私はてっきり解答が誤っていたのかと恐る恐る手をあげましたら、
先生は先生が予想してもいなかったみごとな解答なので、感心したのだそうな。
あとで数学科時代の同級会がありまして、同級生が言うには、
『佐々木、おまえは数学ができたよな』。そういう時代があったのだな、
と懐かしい思いがしました。二十歳のころは農学部の同級生に
好きな女子学生がいて、せっせと手紙を書いていた。彼女にしてみれば、
幼稚な文面と映るだけだったかもしれません。結局、実りある結末には
いたりませんでしたが、これも甘酸っぱい味のする思い出です。」