>>358の続き
「それにしても、職業的哲学者は、認識論的議論に
 なんと「スコラ的」にかかわり続けていることか」
という佐々木の言葉は佐々木自身にも当てはまる。

マルクスおよびその追従者の”実践”という言葉は、
その行為によって実践から遊離している。

佐々木が本当に実践を理解しているなら、
やるべきことは数学史家などという
評論家になることではなく、大工に
なることだったろう。
ヴィトゲンシュタインの人生を見れば
それが理解できたはずである